躾と恥の文化 | 自己超越から自己認識への導きサロン

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みなさま、こんちには。


私が、史上最強の哲学者であり、世界最高の思想家である、風流師匠です。


私の価値観(生き方、考え方)は、目先の金を追わず、己の欲望に惑わされず生きた人間の価値観です。


目先の金を追わない人間が、組織のトップになるからこそ、その組織は正しく健全な組織に発展するのです。


己の欲を押し殺しても、自分にとって大事な価値を守る人間が子供を育てるから、心の強い人間が育つ家庭環境が築くことが出来るのです。


私の思想は、とても簡単でしょう!




前回 、お話したように、人は無意識に生きていると、楽な方向に意識が流されます。


楽な方向に意識が流されるのか、自分に厳しい方向に意識を向けるのか、この意識の差が人の内面を形成します。


一日の時間は、24時間です。


その中には、寝る時間と生活をするために働く時間が、一日の大部分の時間となります。


そして、わずかに残された数時間が、自分の時間となります。


自分の時間を利用して、情報を得るためにテレビやインターネットを見たり、リラックスをするために趣味やゲームをする時間に使わなければなりません。


ここまでは、誰もが同じ行動パターンです。


では、楽な方向に流されて生きる人間と、自分に厳しい生き方を選択する人間との意識の違いとは?


楽な方向に意識が流される人間は、何もしないでボーっとしたり、必要以上の金を求めるや異性と遊ぶための時間に使います。


自分に厳しい生き方を選択する人間は、必要以上に金を求めたり、異性と付き合う時間を削ることで、自分の可能性に挑戦する時間を捻出します。


この意識の差が、人間の内面の差になります。




では、ここからが、本日の本題です。


私の考えでは、心の強い人間とは、目先の金や己の欲望に惑わされることなく、物事を正しく判断できる人間です。


物事を正しく判断できる人間になるためには、必要以上に金を求めたり、異性と遊ぶ時間、何もしないでボーっとする時間を捨て、物事を深く考えた日々の積み重ねが必要です。


人間教育とは、無意識に自分にとって楽な方に向く意識を、意識的に自分にとって厳しい方に意識を向ける人間を育てることだと、私は思います。




欧米は、キリストの教えを信仰することで、人の意識が楽な方向に流されい人間つくりに取り組む社会です。


経済的な幸せよりも、人に喜ばれることで心の充実感を得らる人間つくりに取り組むことが、キリスト教文化です。



宗教観の薄い日本では、親が子供に「 躾 」をすることで、意識が楽な方向に流されない人間つくりに取り組む社会です。



躾とは、確りとした礼儀と人前では騒がない子供を育てることです。


子供とは、ところかまわず泣き騒ぐ、人様に迷惑をかける生き物です。


それを、親が人様に迷惑にならないように、人前では静かに大人しくする子供に育てることが躾です。


子供の頃から、無意識に自分の行動を規制した日々の積み重ねが、大人になったときに目先の金や己の欲望を重視する人間に対し、みっともないと感じる意識になります。


このみっともないと感じる意識が、日本の恥の文化です。




子供の頃の、人前では大人しく静かにする行動が、周りを観察する能力の向上となります。


この観察能力が、物事を深く考える力となり、新しいものを創造する力となります。


しっかりと「 躾 」をされた人間は、自分が創造したことを実現するために、目先の金や己の欲望を求めることをせず努力をする、自分に厳しい生き方が出来ます。


それは、子供の頃に、親に受けた「 躾 」のおかげで、子供の頃から無意識に自分に厳しい行動が出来る精神を養っているからです。


では、ここで問題になるのが、「 躾 」と、「 虐待 」は紙一重だと言うことです。


躾とは、親が、わが子に、人様に迷惑のかからない人間に育てるために、親が心を鬼にして、子供に接すことです。


虐待とは、親が、わが子を、自分の思い通りにするために、親の感情で子供に接することです。


躾とは、親に厳しくされても子供に心のトラウマはありません。


しかし、虐待とは、親の感情で子供に接するため、子供の心に大きなトラウマが出来ます。


自分に厳しい生き方が出来る人間は、目の前にある逆境を乗り越える力を持つため人生に前向きです。


心にトラウマを持った人間は、人生に悲観的になり、目の前の逆境を乗り越える力を持ちません。




私は、子供もいなけば、結婚をしたいとも思いません。


人は、子供を育てたこともない人間が、子育ての苦労がわかるわけがないと言います。


その通り、私は子育ての苦労などわかりません。


ただ、子育てとは、人間の心と精神を育てることです。


これは、自分が子供の親になる前の生き方が問われているのです。



子育てが大変なのは当たり前です。


しかし、それは己の快楽を貪ったのだから、それは仕方がないことです。


私が言っているのは、子育てが大変か幸せかと言うことではなく、人間の精神と心を成長させるための生き方であり、子育て以前の生き方の話です。


私のように、目先の金や己の欲望に流されることなく生きていける人間であれば、将来を考え苦労を共に出来る人生のパートナー選びが出来ますが、目先の金や己の感情に流される人間は、一時の感情の高まりに惑わされ人生のパートナー選びに失敗し、結婚生活や子育てを苦労するのではないでしょうか?


ね、私の話は子育て以前の、生き方の問題点をお話しているのです。