検証、織田信長(精神世界の巻) | 自己超越から自己認識への導きサロン

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本日は、織田信長と豊臣秀吉の相違点を知ることで、精神世界とは何かを、解明します。




Ⅰ、信長と秀吉の違い


信長は、天下を統一した後は、嫡男の信忠に日本を任せて、信長自身は海外を侵略しようと考えていました。


秀吉は、信長に代わって天下を統一した後、朝鮮へ出兵しました。



朝鮮へ出兵した日本軍は、あっという間に朝鮮半島の奥深くまで侵攻しましたが、民衆を巻き込んだ朝鮮軍の徹底抗戦にあい、朝鮮を落とすことは出来ませんでした。


秀吉が、朝鮮を侵略しようとした理由は諸説いろいろありますが、共通することは、秀吉が領土の拡大を狙ったことです。


秀吉の朝鮮出兵でわかることは、どんなに戦が強くても、その土地の民のための戦でなければ、その国を支配出来ないことです。



織田信長は、天皇よりも高い位を得ることで、日本の神になろうとしました。


信長が神になることで信長軍は神の軍となります。

信長の海外へ侵略をする戦に付き従う兵士たちが、侵略した外国の民たちに、人として尊敬される行動が出来る軍隊にするため、信長は朝廷に天皇よりも高い位を求めたのです。


自分の領土を拡大するために戦をする豊臣秀吉と、国を支配することとは、その国の民のためになる政治をすることだと知る織田信長では、戦に対しての戦略は違いが出ます。





Ⅱ、幼少教育


信長と秀吉の最大の相違点は、家柄です。


武家の信長と、農家の秀吉、



一、武士とは?


武士とは何でしょうか?


有事では、自国を守る、人殺しのプロ集団です。


平時では、自国を管理する政治家であり、官僚です。


武士とは、生まれたときから、人の上に立つエリ-トです。



武家の家系では、人の上に立つ人間のあり方、武士としての生き方を、幼少の頃から、子供に躾として教えます。


武士は、自分の自由な時間を、武芸を極めたり、教養を深めることに使うことで、目先の金や、己の欲望を求めることの無い、強い精神を育てます。




二、庶民の子育て


秀吉が生きていた戦国の世では、農民はとても貧しく、毎日の食うものを確保することが大変な時代です。


農村では、お互いが助け合うコミニュティ-を形成します。


農民は、わが子が、お互いが助け合うコミニュティ-の秩序を乱さないように、「人様に迷惑をかけるな」、「人様の物を盗むな」と、人として最低限のモラルを子供に躾けます。


庶民と武家の区別がされる封建社会では、庶民がわが子を人の上に立つ人間のあり方を教育するほど、生活に余裕がありません。




三、精神とは、


国を支配する者のあり方を感覚的に知る信長は、子供の頃から身分に関係なく人と接することが出来ました。


国を支配する者のあり方を知らない秀吉は、天下を統一する前は、輝かしい活躍をしましたが、天下統一後、秀吉は狂い始めました。



巨万の富や権力には、人の心を惑わす魔物が棲みついています。


そのため、人の上に立つ者には、自分の感情に惑わされず、正しいことを見つめる精神性が必要となります。








Ⅲ、精神世界



一、千利休


信長は、千利休の茶の弟子になりました。


信長は、茶を通じて見事に精神世界を表現をした利休に、一目を置いたからです。

秀吉は、利休を自分に従わそうとしました。

秀吉は、利休の気を引こうとして、黄金の茶室をつくったり、自分に従わない利休に、切腹を命じました。

精神性の高い信長は、自分がどれだけ権力を持っていても、自分より優れた才能を持つ人間とは、人対人の付き合い方が出来ます

精神性の低い秀吉は、権力者となった自分は偉い人間だと勘違いをし、すべての者を自分に従わせようとします。



二、すべては同じ、精神世界


茶道とは、真心を尽くして、客をもてなすことです。


○権力者の客も、庶民の客も、区別をすることのない、おもてなしです。

○すべての無駄を排除することで、洗練された作法を確立することです。

○真心を込めたもてなしとは すべてがありふれた質素なモノだけで、心の落ち着く優美な空間を演出をする工夫です

武道も、茶道も、経営道も、すべての道は、ひとつに繋がる、それが精神世界です。


道を極めた人間の共通の意識は、自分が相手に合わせた対応をすることではなく、自分自身の内面を常に改善していくことで、すべての人間に対応出来る自分の型をつくることです。



三、秀吉と利休

「世の中に茶飲む人は多けれど 茶の道を知らぬは 茶にぞ飲まるる(茶の道を知らねば茶に飲まれる)」(利休)


秀吉と、利休は、茶道に関して、まったく価値観が違いました。


それが、精神世界を知る利休と、精神世界を知らない秀吉の価値観の対立に発展します。


秀吉は、茶会が大好きでした。

それは、自分の持つ高価な茶器や、絢爛豪華な空間の演出をすることで、自分の力を、参加者に自慢がしたいからです。



利休は、茶の道に、精神世界を表現しました。

利休が設計した二畳敷の小さな茶室『待庵』(国宝)は、限界まで無駄を削ぎ落とした究極の茶室です。

利休が考案した入口は、間口が狭いうえに低位置にあり、いったん頭を下げて這うような形にならないと中に入れません。


しかも武士の魂である刀を外さねばつっかえてくぐれないほどの狭さです。


それは、たとえ天下人であろうと、農民であろうと、一度茶室に入れば人間の身分に上下はなく、茶室という小宇宙の中で「平等の存在」だと言うことを、利休は茶を通して教えようとしたのです。

信長が、茶を好み、家臣にも茶をさせたのは、家臣たちに、この精神世界を学ばせたっかのでしょう。





Ⅳ、精神世界とは、当たり前のことの価値観



一、ある初夏の朝、利休は秀吉に「朝顔が美しいので茶会に来ませんか」と使いを出ました。


秀吉が“満開の朝顔の庭を眺めて茶を飲むのはさぞかし素晴らしいだろう”と楽しみにやって来ると、庭の朝顔はことごとく切り取られて全くありません。


ガッカリして秀吉が茶室に入ると、床の間に一輪だけ朝顔が生けてありました。


一輪であるがゆえに際立つ朝顔の美しさ!秀吉は利休の美学に脱帽したといいます。



二、秋に庭の落ち葉を掃除していた利休がきれいに庭を掃き終わると、最後に落ち葉をパラパラと撒きました。


「せっかく掃いたのになぜ」と人が尋ねると「秋の庭には少しくらい落ち葉がある方が自然でいい」と利休は答えました。


客によっては、利休のこの心配りに、気がつかない人もいるでしょう。


しかし、真心を持って人をもてなすこととは、客に褒めて欲しいからすることではなく、客が気にしない箇所まで心を配ることです。



三、利休は弟子に「茶の湯の神髄とは何ですか」と問われました。


利休はこう答えました。「茶は服の良き様に点(た)て、炭は湯の沸く様に置き、冬は暖かに夏は涼しく、花は野の花の様に生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」


弟子は「師匠様、それくらいは存じています」と言います。


利休は「もしそれが十分にできましたら、私はあなたのお弟子になりましょう」と答えました。


当たり前のことを、常に当たり前に出来ることで、人が気にすることのない箇所まで、配慮が出来る意識が育つのです。


しかし普通の人は、当たり前のことを馬鹿にして、手っ取り早く結果を出す方法ばかり求めるから、自分で創意工夫する努力を怠るのです。




四、秀吉は茶の湯の権威が欲しくて「秘伝の作法」を作り、これを秀吉と利休だけが教える資格を持つとしました。


利休はこの作法を織田有楽斎に教えた時に、「実はこれよりもっと重要な一番の極意がある」と言いました。


「是非教えて下さい」と有楽斎。


利休曰く「それは自由と個性なり」。


利休は秘伝などと言うもったいぶった作法は全く重要ではないと説いたのです。


当たり前のことが、当たり前に出来る人間に、心の自由と、自分独自の型が確立するのです。