インフルエンザの高熱期は過ぎて平熱で安定になって一安心。
ただ身体の色んな不調は続いているので,油断できない。

とはいえ,楽器の練習は再開している。
あんまり音楽を聴く気にならないから,自分が奏でる音楽がほぼ唯一。
あとは,5/2に京都ホンキートンクでなされるDawg (Bluegrass + Jazz) のライヴのお知らせを見て,やはりDavid Grismanが聴きたくなって名盤「Quintet '80」を少し聴く。

25日のイベントは全くの一般向けだけど,そういう時でもアニメの曲とかポップスとかよく知られている「クラシック」はまず演奏しないことにしていて,それでもできるだけ知っていそうな曲の原曲を演奏するようにしている。

けど,全く知らなくても,美しい楽しいと自分で思っているものはそのままで示すことにしている。
そうなると,こちらの演奏能力が問われるしすぐに明らかになるからこわいといえばこわいのだけど,最近のように妙な編曲モノが多いとやはり原曲はたぶんこんな感じだからというものを聴いて頂きたいという気になる。

とはいえ,1650年くらいの曲はこうだった!などと決定的なことは誰も言えないというのも当然のこと。
より当時の様式や言語表現に近いものを探して,それでも21世紀に生きる人間が吹いているという表現になるはず。


そういう気持ちでリコーダーの練習,ただしかなり短め。

4/26のマスタークラスの予定曲のVIrgilianoのリチェルカータを。
細かな音型はあるけど,やはりイタリア語だなと思う。

面白かったのは5/9に吹く2曲!

まずFrescobaldiを吹いてみて,ふむこれもイタリア語。
16分音符のところはBCも長いし,慌てて吹く必要もないからちゃんとアーティキュレートして母音たっぷりで,で良さそう。

ところが,スペイン人de Selmaの曲は,先日の公開レッスンでSanzのフォリアスを
バロック・ギターでスペイン語を散々しゃべる練習をしたせいか,リコーダーで吹いてもどうもこれまでと勝手が違う。

スペイン語が「子音の言語」であり,聴いているとまくしたてるような勢いがあるので,その現れなんだなということがよくわかる。
それを踏まえてみると,de Selmaの息の長い16分音符や32分音符がなるほどと思う。
ただ,それは慌てて機械的に演奏することとは全く違うことなので,ちゃんとスペイン語を喋っている(つもりの)ようなアーティキュレーションを考える。


バロック・ギターも曲を絞る。

Sanzのフォリアスも,ともかくスペイン語の多才な子音を喋ることと,機械的でないフレージング,和声の理解。

カナリオスも同じだが,ラスゲアードをどうするか。
それまでは,恥ずかしながらの音源と同じようなラスゲアードをしていたけど,先日のレッスン以来自分で楽譜を見ていて,そこからラスゲアードを組み立てようとすると,かなり違ったものになりつつある。
あまり時間はないけど,やはりオリジナルなラスゲアードで弾きたい。

de Murciaのラ・ボルゴーニュは割とさらっと。

そして,肝心のRiccioの通奏低音は,言葉のアクセントに気を付けて,妙なところにギターのアクセントが付かないように!