昨日の自分のレッスンでの要点の1つはこれだったと思うけど,考えてみれば似たようなことは仕事でも言っている。

ヘブライ語の聖書原典を読む時に,私も師から教えられたこととして

「現代の読み手は19世紀以降の近代合理主義の考え方で聖書を読んでいる。
どこまで聖書が書かれた当時の,例えば前8世紀の古代イスラエルの人間になったつもりで読めるか」

ということで,これを踏まえて私が原典講読の授業でよく言うのは

・なぜその語順なのか?
基本的な語順と違ったりしないのか?

・なぜその語なのか?
似たような意味の他の一般的な用語とは,私たちの言語でも違うのでは?

・なぜそのような妙な綴りや音なのか?
旧約聖書のほとんどは,当時聴き手を目の前にして語られたものが後に書き記されたものだから,語り手が伝えたい効果や意図の現れでは?

ということ。
近代だとこれを
「誤り(特に写字生の)」「後代の挿入」
のように注解書に記されていたりするけど,そんなに簡単には言えないということ。

音楽の場合も結局は同じだと感じた。

「さかのぼるのではなくてその瞬間で」

と言われるのはすごくよくわかる。
そして,それがなかなか難しいことも。

それは,昨日のレッスンで言われていたことを自分なりに書き直すと,

・レッスンや音源から演奏法を組み立てるのではなくて,つまり人から言われて「洗脳された」ものではなくて,楽譜そのものが何をどう喋っているかを自分で読み解く,

・和声の進行をよく考える。〈Folias〉ならiからVになる機能和声が1694年のスペインではいかに新しかった!ということを表現するように,次のiからVIIミクソリディアンへの進行は易しく描き分けて,などなど。

・ある種類の曲を何10曲と演奏してその傾向をつかんだ上でどう演奏するかを自分で考える

・その楽器で技術的に色々できるようにしておく,そうしないと言われてもすぐにそのようにはできない

と,なかなか難しい。

リコーダーの場合はだいぶ楽譜から自分なりに読み取ってそのように喋ることが多少はできてきたかもと思ってはいる(でも昨日のようなレッスンに持っていけばまた全然違うとは思うが)。

けど,アコースティック・ギターは30年は弾いてきてブリティッシュ・トラッドやラグタイムのフィンガー・ピッキングを主に弾いてきたものの,バロック・ギターに転向してまだ1年半。

とはいえ,そのタイミングでこういうレッスンが受けられたのは,色んなクセで固まりきってしまう前なので良かったとも言える。

あとは,バロック・ギターの場合,即興の方が自由に弾けるというのは間違いない。
これは,たぶんバロック・ギターの場合は,楽譜から読み取れる言葉がまだまだ少ないということ。

でも,リコーダーでも特にO田さんのレッスンを何度か受けて全く同じプロセスを経たので,バロック・ギターでもそのようにできるように,次の練習から楽譜の読み方から見直す。

やはり,バロック音楽は,和声がキモ。