前回のブログでいつか「川は流れる」のブログをと思っていたが、その通り今回このブログで書いてみた。

他にも書くことはあったのだが、この機会を逃すと忘れてしまいそうだったからだ。

この歌を覚えておられる方も多いと思うが「病葉をきょうも浮かべて」というフレーズは仲宗根美樹さんの大ヒット曲「川は流れる」の歌いだしの一節である。

いきなり病葉という言葉から歌は始まる。

病葉という言葉が印象的な一節として耳に入る。

わくらばと聞いて、わくらば?ワクラバ???・・・・

何だそれ、と誰もが思うだろう。

この時代、学生時代に古典でも勉強していなければ、まずわくらばと聞いてピンとくる人はいなかったはずだ。

だから昭和36年のこの時期、病葉という言葉が妙に私達庶民の耳をくすぐり残った。

まずわくらばという言葉を普段使わないし、また病んだ葉っぱがあったとしても気にもかけない。

病んだ葉は、枯れ葉として集められ、他のゴミと同じように捨てられるだけだ。

わくらばはそんな存在なのだ。

そんなうち捨てられたわくらばの言葉の意味を知らないのも仕方ない。

だけど初めて聞く響きはなぜだか心に残った。

なぜだろうと思う。

 

 

他の人達はわくらばの意味を知っているのだろうか?

ひょっとしたら自分しか知らなかったりして、そんな不安さえよぎるような「川は流れる」の歌いだしである。

また反対に病葉の意味を知らないのに、つい知ったかぶりをしてしまいそうな一節でもある。

「わくらばという高瀬舟によく似た小さな船が、昔は江戸の町のあちこちで人や荷物を運んでいたんだよ」言ったとしても、それはそれでおもしろそうだし、また信じてもらえそうな気もする。

歌詞を見ればすぐに嘘と分るのだが、落語の世界ならはそんなホラをふく長屋のクマさんのような人が出てきそうだ。

 

病葉という言葉はどこか文学的な響きがしないでもない。

この歌がヒットした昭和36年頃は、中学校を出てすぐに集団就職で都会で出て、働かなければならない子供達が多くいた。

高校に行きたくても行けなかった人達だった。

そんなことでコンプレックスを持たなくていいのに、ちょっとした言葉にしても、自分たちの知らない世界がそこにあると思ったのだろうか?

そんな人たちのコンプレックスが病葉という言葉をさらに増幅させた可能性もある。

事実この歌が「歌声喫茶」から流行だしたという処からみても、喫茶店に出入りしていた若者達が病葉という言葉に何かしらの拘りを持っていたとしてもおかしくはない。

 

この少し後に舟木一夫さんの「高校三年生」や、ペギー葉山さんの「学生時代」という学園モノの歌謡曲が作られヒットしていた。

当時、田舎の村々から買い上げれられたような形で都会に出て来た子供達。

16歳で東京に集団就職で来た子供たちがいる一方で、東京の青山ではおしゃれな学園生活を過していた子供達もいた。

二通りの子供たちを比較して、不公平だといわれればその通りだが、その当時の恵まれない子供たちはそれを当たり前のように受け入れていたのだった。

 

病葉というマイナスのイメージが湧きそうな言葉を作者はなぜか大胆に使っている。

ふつう病の言葉や文字を流行歌では使わないモノだと私は思っていた。

でも俳句では季語として使っているらしい。

作詞家の横井さんもそのことは、俳句の本でも読んで知っていたのだろう。

だから流行歌で病葉を使っても問題はないだろうと思っていた。

とにかく病葉という言葉でこれだけいろいろ私達に考えさせるのだから、作詞家の横井弘さんの目論見は見事に成功したことになる。

 

 

「川は流れる」 作詞 横井弘  作曲 桜田誠一

 

病葉を きょうも浮かべて

街の谷 川は流れる

ささやかな 望み破れて

哀しみに 染まる瞳に

たそがれの 水のまぶしさ

 

思い出の 橋のたもとに

錆びついた 夢のかずかず

ある人は こころつめたく

ある人は 好きで別れて

吹き抜ける 風に泣いている

 

ともしびも 薄い谷間を

一筋に 川は流れる

人の世の 塵にまみれて

なお生きる 水を見つめて

嘆くまい あすは明るく

 

この詞を読んで、病葉を川に浮かべたのは女性だろうか、それとも男性なのかといろいろ想像してみた。

落ち葉を流す行為からみて、これは女性だろうと思うのが自然である。

それにしてもなぜ病葉を川に流したのか?

それが気になるし、またその行為の意味は詞を読んでも分からないままだ。

病葉ではなく笹船なら分かるのだ。

私も子供の頃、笹船を作り小さな水路に良く流したモノだった。

笹船が小さな水路を流れているのを見ることは、私にとって大きな冒険のようであったし、いつしか自分が笹船に乗っているような気分になっていたのだった。

 

でもこの詞の人物は笹船ではなく、わざわざ病み傷んだ葉を流している。

それも「きょうも浮かべて」というから何度か病葉を流したことがあるのだろう。

でもなぜ病葉を流さなければならないのか気になる。

祈りを込めてモノを川に流す風習として「ひな人形」等を流すことはよく知られている。

家族や自分の身代わりとして、厄を人形に移し川に流す行事である。

それと同じように病葉を川に流すことによって、厄払いに近い御利益があることを期待しているのだろうか?

 

 

後の詞を読んでみると、「ささやかな 望み破れて」とか、「錆びついた 夢のかずかず」や「人の世の 塵にまみれて」など悲しい言葉の数々が書かれている。

詞を読むにしたがい胸が塞がれてしまう。

この人の身にいったい何があったのだろう。

辛いことがあったのは確かだ。

その辛さを慰めてくれる人はいなかったのか?

誰もいなかったから病み疲れているのか。

病葉と同じように心も身体も病んでいるのだろう。

ということは、自分の身代わりとして病葉を川に流して厄を払おうとしているのか。

いや詞を読む限り、何かを身代わりに厄を払うという気持ちもなければ、御利益にすがるという考えもないようだ。

それよりも自分の気持ちを浄化したい気持ちと、腹のそこで怪しく蠢く怒りを鎮めたいう願いが主だったかも知れない。

もう一つは虚無感に襲われ続けているから、その虚無感から解放されたい気持ちがあることは確かだろう。

怒りを素直に吐き出せば虚無感に襲われることもないのだろうが、きっとこの人物は他の人のことを考えすぎてしまい、怒りを貯めてしまう真面目な不器用な人のような気がする。

それが多くの人たち心を捉え、生き方に同情もし、共感もしたのだろうと思う。

この人の生きた人生は正に自分の人生ではなかったのかと錯覚させるような詞であり、また歌だったのだろう。

 

この詞のおもしろい処は、最後に無理に付け加えたような「嘆くまい あすは明るく」で締めるところにある。

考えてみればこの言葉でしか締めくくるしかなかったのだろう。

「あすは明るく」が何とも滑稽なようで、それでいてこの言葉がないと詞はなりたたない。

作者の横井弘さんは最後の言葉でとても苦労されたと思うが、ある意味「あすは明るく」が突き放したような表現になってしまっているが、逆にそれでこの詞全体が救われている。

何度も書き直し「あすは明るく」でいいのかと悩まれたはずだ。

でも詞の中の主人公の女性なら最後の最後、意を決したように「嘆くまい あすは明るく」と締めくくったように思う。

それだけ強い女性のように思うし、また反面弱い女性のように思う。