高い木の上に何かがいると人々が騒いでいる。

いったい何がいるのだろう?

猿か?

いやよく見れば人間だ。

もう木の先っぽに近いところまで登っている。

木はしなり、今にも折れそうだ。

よくあそこまで人間が登れたものと、感心するほどのところまで登っている。

だがもう先はない。

あ、木が大きく揺れ出している。

危ない!

しかしあの人は何を思って、あんな高いところに登ったのだろう?

誰か注意しなかったのか?

 

 

最近世間を騒がしている松本人志さんのことである。

高いところに登れば周りのことが良く見えそうだが、人の世ではなぜか眼を曇らせるだけのようだ。

世間によくありがちなことだが、人間高いところに立つと、自分は他とは違うという意識が芽生え、それにより眼が曇り、人の意見も耳に入らなくなるのだろう。

世の中の動きを機敏に嗅ぎ取る神経と、冷静な頭脳を持たなければならないお笑いの

職人が、一人お山の大将になって、世の中のことが何も見えていなかったのは寂しい。

 

でもこれは松本人志さんのことだけではないだろう。

古い話では多目的トイレで何かをしていた漫才師の方もいたし、その他怪しい飲み会をしている漫才師たちは当たり前のようにいるようだ。

お笑いの世界での限った話だが、上も上なら下も下だ。

よく似た者同士が徒党を組んで、女漁りをしていた図が見えてしまう。

それも、もう若くはない人たちが行っているのが、何とも醜悪に見えてしょうがない。

いつ迄も若いつもりでいたのだろうか?

世間でいえば大御所クラスから中堅クラスまでが、相も変わらず、コンビニ前でたむろしていそうな若者のマネをして遊んでいたらしい。

だからお車代が三千円から一万円と、耳を疑うような金額になってしまった。

信じられないようだが、彼等はそれで良しとしていたらしい。

いつまでも遊び方は子供のままだ。

遊ぶなら人も羨むような、もっと綺麗な遊びかをしてもらいたい。

私達素人でもこのような下品な遊び方はしないだろう。

芸能人の模範とならなければならない大御所と呼ばれるような人が、何とも情けないお金の使い方と遊び方をしたものである。

 

夜の街でいろいろな武勇伝を残したやしきたかじんさんは、いつもポチ袋を持ち歩いていたという。

たかじんさんには芸能人はこうでなくてはならないという、美学に近いモノがあったのだろう。

人の眼を意識して無理をしていたのかも知れない。

それは一種やせ我慢に近いモノかも知れない。

きっと美学はそのようなやせ我慢のようなモノから生まれてくるような気がする。

また、芸能人が世間の人たちにカッコをつけるのは当たり前である。

世間の人達から、たかじんさんは流石だと、憧れの眼で見られたい気持ちはあったはずだ。

今はもう、無理をしてカッコつけるような芸能人はいないのだろうか?

それともお金を持っていても、遊び方を知らない芸能人が多くなったからか?

彼等には師匠がいなかったから、遊び方を教えてもらうことがなかったことも影響しているのかも知れない。

だから同じような考え方をする後輩芸人とつるんで遊ぶことになったのか?

また粋な遊び方をしてみたい気持ちはあるが、そのような処に行って、恥をかきたくない気持ちもあるかも知れない。

遊びのアも知らない私が言うのも何だが、遊びにも文化があるように思う。

昔の人たちは大阪の新地や祇園で遊ぶにも、教養の一つとして習い事をしていたことがあったという。

酒席で芸の一つも見せないと恥をかくからだろう。

そこには季節を通して風流な遊びもあった。

着るモノ、料理、お茶やお花、それにお芝居、すべてが遊びに通じていた。

 

素人でもその道で粋な遊びをしていた人たちは多いらしい。

それが今の芸能人は、茶屋遊びで芸の一つもできないのはどうしたことだろう。

今はそのような時代ではないと言ってしまえば、そうかも知れないが、芸の道に古いも新しいもない。

彼等漫才師は、漫才だけにししか興味がないようだ。

それも自分たちが何とか理解できる、狭い範囲の漫才だけだ。

きっと歌舞伎などに何の興味も示さないのだろう。

興味があるのはM-1という漫才グランプリだけのように感じる。

後、クルマと女ぐらいか?

これではまるでヤンキーと言われている人たちと同じだ。

そんなヤンキーが演じる漫才が本当に面白いのだろうか?

 

芸能人で松本人志さんを擁護する人たちも少なくない。

でも、芸能人は人気商売だ。

人権だ法律だといっても、人様の支持で良い思いをさせてもらっていることを忘れている。

その人気といっても半分は周りの人達の努力によって作られているので、いつ人気が急落するか分らない儚いあぶくの様なものだと思うのだが?

人様の気が他にいけば、それはそれで人気商売だから仕方がない。

それに自分たちは人間である前に、商品であることも忘れてしまっている。

商品に変な色がついてしまったら、その商品はもう売れないと覚悟すべきだし、商品棚から降ろされても文句は言えないはずだ。

だが、それをおかしいという芸能人がいるから驚く。

この様な人にプロとしての意識があったのだろうか?

私達素人でも怪しげな場所には近づかないように気を付けているのに、テレビの媒体で仕事をしている芸人なら尚更気を引き締めるのは当たり前だと思うのだが?

 

遊ぶならもっとスマートに遊ぶか、又は人が噂するほど豪快に遊んでほしい。

有名芸能人の証としてそれぐらいのことをしてほしい。

人様から後ろ指さされるようなことは論外だ。

一攫千金、一夜明けたら乞食。

これが芸人の姿であるのを忘れてしまったのだろうか?

芸能人に人権だの法律なのと言ってもらいたくない。

それを言ったらお終いだ。

ヤクザが殴られましたと交番に行くようなモノだ。

 

我が世の春をおくった芸能人が落ちぶれて、醜態をさらしながらこの世を去るのが、芸能人としての最高の名誉といったのが上岡龍太郎さんだった。

上岡龍太郎さんはそういいながらも、引退後は優雅な生活を送りながらこの世を去っていったが・・・・

その意味では上岡龍太郎さんは、芸能人の風上に置けない人だった。

だが、上岡さんは世の中も自分も見えていた。

高みに登って周りが見えなくなったことはないだろう。

それはなぜだろう?

上岡さんという個性だからか?

上岡さんは芸能界のいろいろな人達に交じり、己を高めていった人だった。

桂米朝さんや立川談志さんなど、一流の人たちと交流を深めていった。

それに比べ、松本さんは後輩ばかりを集めて自分の群れをつくってしまった。

そうすると、どうしてもお山の大将になりがちだ。

そればかりか、犯罪行為と思われそうなことをしでかしても、仲間がいるせいで、その事の重大性が分らなくなってしまった。

残念だし怖いことだ。

 

吉本はまたなぜ松本人志さんを天才扱いをしなければならなかったのだろう?

北野たけしさんと映画製作で張り合おうとしたのだろうか?

たけしさんのように映画を製作していたが、その後どうなったのだろうか?

映画製作でたけしさんのように才能を開花さすことが出来たのだろうか?

 

吉本の芸人さん達は、吉本の力でテレビ放送に出してもらっている人がほとんどだろう。

他の事務所なら、とっくに画面から消えている人たちではなかったのか?

吉本という後ろ盾がなければ、ダウンタウンでさえも他の人たちと同じく、長く活躍はできていなかっただろう。

これはお笑いの世界だけではなく、ドラマや音楽の世界でもそうだし、事務所が力を持っていなければ、タレントにいくら才能があっても、ドラマの主演などを勝ち取ることはできないだろう。

半分は事務所の力で作られた人気だったと思うべきだろう。

 

これから松本人志さんはどうするのだろう?

高いところから無事に下りられるのか?

第三弾の週刊文春からの報道が今朝あった。

YouTubeからの情報だけだが、これでもう松本さんの芸能界復帰は絶望的になったような気がする。

だから急遽ブログを書き換えた。

私はそれまで松本さんが頭を丸めて謝罪の記者会見をすれば、世間から許してもらえると思っていたからだ。

もちろん件の女性たちには十分な償いと謝罪をすればだが・・・・

しかし、今回の報道でそれもほぼなくなった感じだ。

もったいないというしかない。

松本人志さんはこれまで挫折がなかった人だから、今回の件では相当堪えているだろう。

ネット上ではこれまでと一転して、松本さんへの酷い中傷が多くなってきた。

天才からアホ、馬鹿呼ばれるようになるとは、松本さんも思ってはいなかっただろう。

人の世の評価はこれほど急に変わるものかと驚く。

私のように低学歴で漢字もろくに書けない人間には、松本さんのコンプレックスはよく分かる。

松本人志さんの品性も悪いが、一転して変わるファンの心根は怖すぎる。