猛暑の夏から秋と呼ばれる季節に入っても暑い日が続きます。
秋はどこに行ったのか?松茸は、ぶどうは、りんごは?冬は来るの?と、心配になってしまいますね。
グランブルーの海、雲一つないスカイブルー、白い砂浜、コントラスが鮮やかです。
地中海のリゾート地を思わせる風景に見えませんか?
しかし、ここは日本海、まるで夏の風景と思いきや、秋なんです。
ここは、石川県小松市にある安宅の関です。AAAのオブジェが海と空の碧に映えますね。
歌舞伎の十八番、おなじみの勧進帳です。
与謝野晶子が「松たてる安宅の砂丘その中に 清きは文治三年の関」と詠んだ文治三年の出来事の舞台となりました。
大きな門をくぐって中に入ります。
門の左側には与謝野晶子の歌碑が建てられていました。
中に入ると、勧進帳の登場人物の巨大な石像が
歌舞伎の舞台をモチーフにした石台に建てられていました。
この人は、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)、山伏姿に変装しています。
実際の歌舞伎役者をモデルにしている石像なので迫力満点です。
源義経(みなもとのよしつね)です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟ですが、訳あって兄頼朝から追われる身となってしまいました。弁慶は義経の家来です。
勧進帳のあらすじです。
加賀の国、「安宅の関(あたかのせき)」の関守、富樫左衛門(とがしさえもん)です。
義経一行が山伏に変装しているとの情報を掴んで待ち受けていました。
山伏に変装している義経一行を捕らえるため富樫左衛門は、安宅の関で待ち構えています。
そこへ怪しい山伏の一行がやってきます。
変装して関を通ろうとしていた義経一行を疑い、山伏なら持っているはずの勧進帳を読むように命じます。
弁慶はとっさに何も書いてない巻物を取り出し、朗々と読み上げます。
なおも疑う富樫は、次々と問いただしますが、弁慶はよどみなく答えてみせるのです。
富樫は怪しみながらも通行を許可して一行が通り抜けようとします。
ところが富樫の部下の一人が、「強力」が手配書の義経に似ていることに気が付きます。弁慶は強力に化けている義経を、「お前のせいで疑われた」と怒りをあらわにして金剛杖で打ち据えます。
これを見た富樫は、主君である義経を叩いてまでもあくまで強力だと言い張り、義経に危害が及ぶのを必死で防ごうとする弁慶の忠義の心にうたれ、改めて通過を許可しました。
富樫が去った後、弁慶は主君である義経を打ったことを涙を流して侘びます。
義経は弁慶の労をねぎらい、東北へ急ぐのでした。
勧進帳とは、当時の山伏であれば必ずもっている東大寺再建のための寄付を募った巻物です。
安宅の関は、逢坂関、箱根関、白川関のような常設の関でありませんでした。
写真は安宅の関があった実際の場所ですが、義経一行を捉えるために設けられた臨時の関なので、
歌舞伎の舞台ほど大きなものではなかったようです。
安宅の関と隣合わせにあるのが安宅住吉神社です。
安宅住吉の大神のお助けにより、一行は難関の『安宅の関』を見事突破したといわれており、難所、難関にご利益があるようです。
境内には、白紙の勧進帳を読む弁慶の銅像が建てられていました。
本殿の左側に置かれた神亀石です。
安宅の地に住む船形の八蔵がある日浜辺で美しい大亀が打ち上げられているのを見つけました。
亀は神の使いだと信じていた八蔵は亀にお酒を飲ませて海に逃がしてあげました。
亀はお礼を言うように振り返りなら海に帰っていきました。
しかし、亀は翌日もその翌日もやって来て、とうとう毎日来るようになりました。
八蔵はこの亀は住吉神社にお参りしたいのだと考え、道案内をしてあげました。
亀は神社に深くお参りして翌日には石になりました。というお話です。
本物の亀を思わせる亀石ですね。
秋は本当に来るのか、秋の味覚は食べられるのか。皆様の秋を教えて下さい。
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アスザック株式会社 インフラエンジニアリング事業部 海外石材チーム
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