「1本道」のリスク~反ステレオタイプ | HublessHUB皆がTop of the world!

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今日はリブログのオンパレードである。重なる時は重なるが、これは元記事のリリースという旬があるので、早さが命であったりする。そこんところはプロの記者にも(気持ちは)負けない爺ィである((笑)) このリブログだが朝のリブログとも関わり合いがある。人生、ステロタイプな決まった人生でも、しっかり働き、家族が大きくなって奥様と豊かな老後を送る。立派なことだと思う。今の世の中は二極化だったり、私のような下流老人が増加したりと、この1本道の豊かな老後でさえ、いささか怪しくはなって来ているにしてもだ。ただ私は天邪鬼で、しかもより欲深であった(笑)「限られた人生、ライフタイムをもっと充実させるには「手作り」しかないのではないか・・?」と。有名小学校か中学校、そして有名大企業に至る、レディーメイドな選択。それは時刻表どおりに生きたいのなら魅力的な選択だろう。だがそれを選択した場合のリスクもある。それは本来知ったり、学んだり、体験すべき体験をし得なかった場合、それが後になって手遅れだと解った場合のリスクである。

 

 

またも爺ィの昔ばなしである。つまらない話だけど、我慢して付き合って頂きたい。大学の卒業年次には米国へひとり旅に出て、無事に帰国した後は「アメリカ帰り」になった。なんだか場違いではあったが当時はまだ、そんな風潮が残っていた。あの頃はまだ「4文字熟語」は普及しておらず、やたらそれを吹聴するクソ爺ィって、当時は若者だったからクソガキであった。たまたまキャンバスで一年次(一回生)に半年ほど付き合った女性と出会い、そのまま付き合いが再開した。

 

当時の女の子には「医学部生」が最も人気があった。「医学部生のカレがいる」と言われればもう、他の(他学部生の)オファーはお断り・・・という意味であった。親の中には娘に医学部生の家庭教師を付け、後は自然の成り行きに任せる・・というのも実際に(しばしば)有ったのである。その彼女だが、周囲の風の便りから医学部生との付き合いがあったようであるが、どうやらフりーになった様子。タブン、数の少ない医学部生の争奪戦でもあったのだろう。生憎私は第二志望以下の工学部生だった(笑) 1回生の頃は寮にいた。同じ一回生の中には、4浪した髭ずらの見るからに年増な医学部生がいた。彼は寮生の一回生の娘をたちまちその側へ連れていた。男子寮生投票No1の美人だった(笑)

 

で、再会後の女子大生、彼女とは卒業後も暫くは付き合いは続いていた。但し、当時の(特に地方では)今では信じ難いことだろうが「適齢期クリスマスの法則」があり、24歳までに結婚しないと、25歳ではバーゲンの叩き売りとなるらしいのであった。当時「22歳の別れ」という歌が流行ったが、24歳の別れはあるあるの話であった。ところが私にはそんな用意は一向になく、それで痺れを切らせた彼女は親の縁談に飛びついて行ってしまったのであった。当時は職場は某県の港湾現場であり、現場監督の見習いのような事をしていた。そんなある日、市外電話から「別れる」と電話があった。気持ちとして「そう?」と思ったのだけど、出向いて話さないとイケないと思った。それは彼女を引き留めよう・・というのではなく、形だけでも出向いて誠意を見せておいた方がイイ、引き留めるフリだけでもして、彼女にその記憶だけでも渡してやろうと思ったからであった。今から思えば仕方ないのであるが、それでも少なくとも数年は悩み、もんもんとした日々を送っていたのであった(笑)

 

また人生不思議なもので、彼女の母親と、私より8歳年上の女性が顔見知且つ友人であり、何かの縁で連絡があり会い、そのまま意気投合した。彼女は芸術家肌で映画にも造詣が深く、人生観でもより波長が合ったのである。これは前にも書いた。

 

そしてその後であるが、今はもう、下流老人だけど子供も「全て」独立、しかも日本、フィリピン、そしてペルーの3ヵ国混成の多国籍家族である。これはあくまでも私に関してだが、今の現状には悔いはなく、また別のタイムラインから今の暮らしを見た場合、取り返しの効かない悔いに襲われるのはほぼ確実であったろう。

 

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