ジョーと力石~飛雄馬と花形は背中合わせ | HublessHUB皆がTop of the world!

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EVITA妻と暮らし20有余年、奇天烈語学鬼の凡ゆる壁や檻を打ち破る我が闘争の物語。身近な国際モンダイから日比~途上国関係者の
地位向上イメージアップへの支援と国際連携。魂とココロの開放と宇宙的~ミクロまでの調和と皆が主役の真ミレニアムが(Miriam)女神の願い


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まだ昭和の真っ盛り、オトナの観察者を自身内に持つ、ヘンな子供であった爺ィはまた、その正体をバラすと極め付きの「極左」小僧であった(笑) それは小2にして既に産経新聞・・ではなく「朝日新聞」を毎日2時間以上読むことを日課とし、さすがに「赤旗」ではなかったが、フツーの子供たちが怪獣のオモチャで興じているのを横目に「ガキは仕方がねぇ~な」と呟きながら少年科学辞典を種本に、火薬の調合やロケット開発に熱中していたのであった。また夜になると、父親が使わなくなった6石トランジスターラジオから始まる「北京放送局」を楽しみにしていた。ついでだが「モスクワ放送」もあった(笑)

 

60年代末は何かと騒々しい、東西冷戦の激動の時代であった。今は米国がトランプひとり勝ちで余裕をカマしており、我が国でも「考えない人」が激増し、その隙を狙った安倍晋三の日本国解体計画も着々とその姿を明らかにしつつある。さて、この懐かしの60年代は米国でもベトナム反戦やら公民権運動であるやら、ヒッピーやイッピー、中国では毛沢東を頂点とした「文革」もあり、米ソは月面一番乗りを競っていた。その頃は我が国も宇宙開発で4度の失敗の末ようやく5度目で、無誘導・固体燃料式軌道衛星(淡青=たんせい)の打ち上げに成功したのであった。実はその直後?には中国も成功し、それは文革の「東方光」(トンファンフォン)というテーマ曲を、約2時間弱で一回、地球周回の軌道上から我々にも届けていたのであった。

 

当時、北京放送局からは様々な届け物を頂いた。中国語講座が始まり、私もその講座に応募したのであった。テキストは大きな茶封筒で送られて来たが、中には中国伝統の切り紙など、お土産も入っていた。この国際郵便物の一回当たりのコスト送料は、中国人民の一カ月の収入にも相当するのではないかと、まだ子供だった私にも恐れ多い事のように思われた。当時既に「相手の身になって考える(シンクロ」の習慣が備わっていたのであった。また中国という国は、既に半世紀先を読んだ、世界戦略を具体的に実行に移す国でもあった。その証拠が、いみじくもほぼ半世紀後に出たコノ記事であったりするのかも?!

 

私の宇宙開発に戻ろう。だからこれも、上記のこれらから大いに刺激を受けての事であった。また新聞記事やニュースでは「過激派」による列車での爆破事件であるとか、あさま山荘事件、よど号ハイジャック事件など、世界規模での若者の反乱であろうか、そんな事件で紙面は埋まっていた。実は私の宇宙開発や火薬合成は、これらと同じ流れの行為であった。見掛けはコドモ、でもココロは大人の「名探偵コナン」の心境であった(笑)


まあ、例に違わず、そんなコドモでも、成長すればフツーの大人?に近づくものである。そのあたりの経緯は既に記した。実は私は「極左」だったというのは、まだ10才を超えたばかりの頃、当時の世代の若者たちと同じような行為を自ら行い、海外ラジオから流れる日々の情報を共有し、自分なりに同時代を過ごした時代の当事者であったからだ。まあ言い換えれば、10年?遅く生まれた反戦世代であった。当事者とは有難いもので、「外野」から議論を吹きかけられても、心の命ずるまま応えて負ける事はないのである(当事者分野では)前回の記事では僭越ながら右翼絶滅宣言をした。残っているのは2次、3次情報をその行動原理とする「ウヨ」だけなのだろうか、だとしたら余りにも釣り合わない相手ではなかろうか?どうだ?ウヨの諸君。だから相手に不足ありで、生き残りの右翼諸氏を呼んでみたのが先の記事の目的である。これに気が付いたのは少数の方だったろう。まあウヨには気が付かなかっただろう(笑)

 

右翼とウヨとでは雲泥の差があることは、もうこれで分かる人には判ったと思うが、更に。これも書いたが20数年前のダイアルアップの時代にはまだ現役の右翼もやはりネット上にいた。それで度々大勢のギャラリーも集まり議論になった。相手は60年代のオトナであったが、顔の見えないネットである。こちらも60年代のオトナの振りをして渡り合った。そこで知り得たのは極右との一種の連帯感である。それがこの記事のタイトルである。美しい日本を守る事、これは間違いなく意見が一致するであろう。英語を英語で教える思考の英語化の反対も間違いなくそうである。円軌道上にある右と左、その間隔を開けていくと段々と円を回り、最後には背中と背中がくっつくのである。

ここでまた、僭越で身の程知らずな話がある。これは役不足承知で申し上げるのだけど、私は約10年早く、60年代の時代の当事者を過ごしたものとして、当時のオトナの皆さまへの伝言である。その貴重な当事者体験、ツァイトガイストを次代に残す作業の有効期間を約10年、先延ばしにすることが可能かも知れない・・と自身、思い始めた。もう何年も会っていないが、8才上年上の親しい(日本人)女性もいた。彼女は今は相当の書道作家であり、彼女の姉は映像作家、あるいはパフォーマーとして西部講堂を拠点にしていた。妹はまた染色作家、スピリチュアリズムを仮定すれば、それはソウルメイトのような間柄である。なお妻にはナイショだ(^O^)

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