双方の立場で~ニッポンの大移民時代 | HublessHUB皆がTop of the world!

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EVITA妻と暮らし20有余年、奇天烈語学鬼の凡ゆる壁や檻を打ち破る我が闘争の物語。身近な国際モンダイから日比~途上国関係者の
地位向上イメージアップへの支援と国際連携。魂とココロの開放と宇宙的~ミクロまでの調和と皆が主役の真ミレニアムが(Miriam)女神の願い


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ここの所、何故か爺ィは大忙し(笑) また学校の同期達も(当然ながら)還暦~退職など、人生の節目を迎え、夫々が「生き方の再構築」を目指されておる。折も折、その為のツールも発達し、ある方が爺ィのささやかなブログを発見し、その同窓会へ招待してくれた。嘗ての気心の知れたフレンドと話すのは愉しく、また楽チンである(笑) また話していると、まるでPCに外部メモリを増設し、頭まで良くなったが如くの錯覚さえ覚える(笑) さて今朝の「お題」は表記の通りである。

 

またまた移民問題である。今までにも縷々話して来たが、現今の我が国は「移民受け入れ国」であり、国民の大多数は受け入れても損だと考えている。ここで思い出すのは「蜘蛛の糸」という短編である。蜘蛛の糸に掴まったカンタダは更に下から必死で登って来る亡者が嫌で糸を切り離した・・後は大抵の皆さんのご存知の通りのストーリーだ。だが我が国が「移民送り出し国」であった時期もあった。それは明治の中頃前~昭和の初め頃である。移民の方の出身県は沖縄や和歌山、高知、東北各県など多岐にわたるが、それは「葉民」とも呼ばれていた事を忘れないで頂きたい。明治政府は先ず、その専門の行政部署を設け、移民の募集や関係各国との窓口協議を始めた。

 

移民の最初はまだ19世紀の末のハワイ王国だったようだ。そこではやはり当初は相当の軋轢があり、移民の方々が現地の先住民の方々から襲われたり、事件もあったようである。また当初は開墾や農園(プランテーション)での下働きという、現地の方も敬遠する3K仕事から始まったのであった。そしてそのエリアは米国本土から南米と拡大し、特にブラジルやペルーは多くの移民を受け入れた。余談だが、ウチの次男の連れはペルー国籍の永住者である。姓名の中には"Chinen"という沖縄由来の名前がある。母親の故郷であった。

 

その後は歴史の推移の通りで、勤勉な一世とその意思を引き継いだ2世、特に米国の1、2世は第二次大戦では収容所に囲われ、2世達は米国人として義勇軍に応募し対ドイツ戦線で活躍された事は以前に述べた。また退役されたダニエル・井上氏は米民主党上院議員の重鎮として半世紀近くも活躍された。彼もまた戦役では片手を失われた。またペルーのフジモリ大統領もいる。功罪は内外で議論はあるが、テロや内戦で不安定だった同国の治安回復に果たした役割は大きい。今思えば、フィリピンのドゥテルテ大統領とも似ている。そのフィリピンにもやはり道路建設等で多くの移民が渡った。当時の米統治下でのフィリピンは通常の我が国よりも豊かな物質社会であった。国民の多くは既に英語が話せ、アジア初の民間航空会社もフィリピン-米国を結んだ路線であった。

 

前世紀末から南米中心に移民の子孫たちの帰国が相次いだ。今の「移民」の先駆けであった。そこには残念ながら正しからぬ手口でやってきたものも居るのは事実である。手口はイロイロあるが、そもそも公文書を偽造してもバレにくい。またその公文書が真正の用紙であれば尚更で、それ以上に行政内部の手引きがあれば、お手上げである。これはまたフィリピンのあるあるでもあったな(苦笑) 但しこれは一部の不行き届きものの仕業であり、真面目な当事者達は常にその割を食っていた事も覚えておいて頂きたい。蛇足だが、そういった現実への当事者としての協力をNPO-PISは活動目的のひとつと考えていた。

 

我が国の善良な国民の皆さんにお願いである。是非、立場を変えてモノゴトを見る機会も時には持って頂きたいのである。蜘蛛の糸を切り、もろとも血の池地獄では溜まらないと思いませんか?

 

 

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