国際結婚者による~ニッポン再構築案 | HublessHUB皆がTop of the world!

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EVITA妻と暮らし20有余年、奇天烈語学鬼の凡ゆる壁や檻を打ち破る我が闘争の物語。身近な国際モンダイから日比~途上国関係者の
地位向上イメージアップへの支援と国際連携。魂とココロの開放と宇宙的~ミクロまでの調和と皆が主役の真ミレニアムが(Miriam)女神の願い


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時期尚早なのは重々承知だが、大変野心的なプランの一端を紹介したい。鶏頭の安倍晋三総理の議会における基盤はまだ盤石の域にある。総裁選の人事のニュースもあり、また昨今のモンダイもあるが、それでも固定信者や「スネ夫」もまだ彼に寄り添っているかに見える。爺ィの余生など、歴史的尺度で見れば知れている。だったら思い付いたら吉日なのである。

 

先程までタイトルは何が良いか考えていた。今の我が国は出口が見えない閉塞状態に思える。前回の記事では明治維新後の一時期を除く、我が国に蔓延した数々の悪弊を列記した。それは各個撃破であったり、戦略の欠如、リーダーや責任者の不在、縦割りと横並びなどなど多岐に渡った。だがまだ足りない。私は国際結婚を行うに当たり、最初に遭遇したのは「世間一般」というものであった。このコトバを常々口走る上司の話を以前にした。彼はまたインドネシアをネシアと呼んで憚らない人物であった。そしてまた「世間一般」の評価では、世の中では成功した、立派な人物というカテゴリーに属していたのである。また彼は「国際派」を自認し、主に欧米系のガイジンとは付き合いがあり、屡々ホームパーティ等を催していたようだった。だが先述のように彼との溝は段々と深くなり、最後には机を蹴って飛び出したのであった。

 

先般ある隣国で暮らす当事者の方から、国際結婚の最初の関門がこの「世間一般」だったと述べられた。ホンの数日前で、それもこの記事に至る誘因のひとつだ。

 

我が国は言っておくが多民族国家である。但し何世代も経て、見分けが付かないだけである。しかし電車内等で見渡せば、南方系?北方系?中華系?コリア系?などなど多くの傾向を持った顔だちに見える。また中には欧風の顔だちの方もいる。但し、少なからず今は「第二世代」もいるだろう。ただそれでも様々な人種や民族の混在する社会に見えてならない。また一方で特に我が国に訪れたことのない、海外の外国人(その際は正確には我々が外国人なのだが)には、日本人、中国人、コリア系などなどの見分けが付かないという経験を多くした。特に典型は1980年代前後の米国内であった。まず最初に決まって聞かれるのは「中国人か?」であった(苦笑)地理的に離れていたり、関心が薄いとその地域の周辺の民族の見分けは付きにくい。例えば英国あたりの白人で言えば、我々にはウェールズ人とスコットランド人との違いなど大抵判らないだろう。スペインのカタルーニャ人とバスク人も同様だ。ただ欧州の家族の良いと思うのは、家族全員がそれぞれ血統的にも民族的にも異なる場合も珍しくないことだ。フランス系の父親、母親はドイツ系など普通である。またどこぞの親戚は他の国だったりする。国際結婚の多国籍家族を自認する者としても出来れば見習いたいのである。これは「世間一般」の否定である。我が国民の最大多数が有する「世間一般」という共通認識、少し端折ってしまうが先に述べた横並びなどが分かりやすいが、他の件もこの共通認識が多分に関わる悪弊に思われるのだ。

 

また、多国籍家族で話せばフィリピンも実にバラエティーに富んだ社会だ。家族皆がビミョーに肌の色も異なり、それは拡大母系家族で父親が異なれば尚更である。これもまた「世間一般」へのアンチテーゼである。また付け加えれば男・女以外にも様々なカタチが存在し、それをフツーに認めているのがイイ。彼(彼女)らもまた持ち味や特技があり、それで家族に貢献をしているのである。かくして私はフィリピンを知り関わって、その「世間一般」を手当たり次第に、もう徹底的に破壊したのであった(((笑)))

 

だから、先のタイトルは世間一般に無難に見えるように偽装した「仮」であり、実のところは・・・

多国籍・多民族家族~世間一般への宣戦布告 

これが本タイトルであったりする(笑)

 

民族を論じると危ないョというお言葉をご友人から頂戴している。だが当事者とすれば逃げられないテーマである。また当事者だからこそ言えることもある。ここは先手必勝である((笑))

 

今、コメのコメをしていて明白に判った件がある。それは「志士」の不在である。いや不在と言っては失礼だろう。但し志士は群れない傾向が強い。また明治維新の前後でも、志士は「世間一般」の破壊者であった!そして率先して命を落とし、後には能吏系の凡人が多く残った。しかしそれでも残った志士が明治政府をけん引した。歴史の転換点で見られた現象である。今も志士は存在する。私の例では「左」の辻本清美~「右」の北岡たかひろや、吉田康人である。この既成左右のモノサシでは統合しえない「水と油」の面々に共通するものである。これは某友人も持たれていた概念であった。だから彼には先般「コラボ企画」を提案したが時期尚早と却下されてしまった。まあ尤もな話であった。また現今の「志士」であるが、現時点では竜馬タイプの志士があまり見当たらないのである。今は明治と違い、当時の数年を数カ月~数日と時短出来る便利なツールも多く、使い方次第では個人でも国レベルと渡り合えるだけの情報化社会である。この資源を有効利用しない手は無いだろう。(お決まりの爺ィの・・と書こうとして止めた(笑))

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