Let's TRY~選挙に出てみた話 | HublessHUB皆がTop of the world!

HublessHUB皆がTop of the world!

EVITA妻と暮らし20有余年、奇天烈語学鬼の凡ゆる壁や檻を打ち破る我が闘争の物語。身近な国際モンダイから日比~途上国関係者の
地位向上イメージアップへの支援と国際連携。魂とココロの開放と宇宙的~ミクロまでの調和と皆が主役の真ミレニアムが(Miriam)女神の願い


テーマ:

国民の等しく持つ権利と義務、その権利としてある被選挙権を実際に行使したことのある方は、現役やプロの方以外では滅多にいないのではないだろうか?これはその時の、市政レベルにおける地方選挙でのお話である。以前もそうであったが、当時関わりのあった方の中には、今では市政等で現役で活躍されている方もおられます。そのため関係者氏名は原則としてイニシャル等で記載の程、御理解くださいね。

 

かれこれもう、20年近くも前の話である。私は当時、資源再生関連の事業に従事していた。我が国の廃家電やスクラップは中国や海外では高値で取引できたのである。その貿易商社・・といえば聞こえは良かったが、言い換えればゴミ屋でもあった(笑) また先般の社団法人だが、これは上司のT氏との溝が決定的となり机を蹴って離れたのである。ただ最後に行った市場調査案件が米国、特にカリフォルニアや東海岸での省エネ機器市場であり、それらは行政的な後押しを得て、その市場を拡大させている・・という内容を知り、俄然その内容に関心が高まった。そこから「エコロジーの経済原理」という考えを纏め、また国内のリサイクル産業に興味を持ったのであった。

 

先ずは現場からである。地域の古紙の集団回収にも参加した。それらに集まったご婦人たちとも話をした。ただ古紙の市場は価格下落に悩み、会社もその部門は赤字経営だった。そこで市が援助を行っていたのであるが、当時の市長の方針で、それもカットの危機にあった。また子供は多国籍である。同様に多国籍子ども会への支援もジリ貧のカットで、一般の子供たちの教育の問題とも当事者として直面していた。これら3つの問題を「3つの共生」と名付けた。リサイクル、外国人、教育の問題を当時語られ始めた「共生」というコトバでくくってみた。また先述の「経済原理」をそこに組み込んだ。今風に言えば自己のブランド化キャッチコピーを考えたのだ(笑) 当時の古紙の市場の危機的な状況と、それへの行政の後押しを訴える投稿は、やはり朝日新聞さまが掲載してくれた。単細胞な私はチャンスだと思った(笑)

 

前回の記事では簡略化したが、実はこのコンセプトで政策ビラの原稿を切り貼りで版下にし、印刷屋に2万部、印刷して貰った。10円コピーよりも安上がりだったからだ。それから政策ビラの各戸配布が始まった。とはいえ30万都市なので、ある程度絞らないと足りないし、また殆どが自前であった。時間と足の問題もあった。だから市街中心部と公団等の団地を回った。それに加えて、B4両面サイズのチラシ、折らないとポストに入らない。見かねた妻も内職を手伝ってくれた。そして選管がくれた市内地図を拡大コピーし、配布地域と枚数、各候補の配布分布を併せて記入していった。情勢分析や票読み?も行う「ひとり選対」であった(笑)。クルマの改装もあった。ちょうど、家には手頃な太陽光パネルが数枚あった。コンセプトにも合うので、これでマイク掛けを行おうと思い、インバータを買い、それを大型のラジカセに繋ぎ、マイクから流すと大音響がした。またクルマには看板も手作りで用意した。毎日ビラを配布し、終われば翌日に備えた折りの内職をしながら、準備は進んでいったのであった。そんな折り、同じ高校だった後輩のY君と知り合った。噂では新人ながら当選確実の医師会推薦の人物だったが、実際は気さくな好青年。彼はバックもしっかりあり、準備万端整えていた。また同じく、若いKさんもいた。彼も新人だったが、やはり手作りで真摯に市政を憂いていた。準備期間、そして選挙期間と、得がたい方々と知り合えたのである。

 

そして選挙の公示、朝の号令で選挙戦のスタート。約500ヶ所余りの掲示板へ、ポスターを掲示する必要がある。一部だけ友人にも手伝って貰ったが、事実上の「ひとり選挙」であった。だから掲示板を回りながら街宣も行った。一番最初の定点街宣は通い慣れた団地の入口、会社の近くで知る人も居る場所を選んだ。その時は青のシンボルカラーのジャケットを着せた妻と、やはり3歳になったばかりの次男を連れて並ばせた。クルマの左右にパネルを並べ、マイクのスイッチを押した。約20~30名の住民の方が集まってくれた。初めての街頭演説であった。ただ妻と子供は、これが最後で、後は留守番だった。だが期間中は短い食事時間以外は出ずっぱりだったが文句は一言も無かった。後は空いた掲示板にポスターを貼りながら流しでの街宣など、勿論クルマの運転も自前であった。イメージBGMとして米国グループの"We built the city of lock'n roll"曲名は忘れたがそういうアップテンポの曲をカセットで流しながら走った。道は大方、それまでのビラ配布で覚えていた。またポスター貼りにも工夫をした。それまでは運動員たちが画鋲でひとつひとつ留めていたのだが、私は壁用のガンタッカー(ホッチキスの大きいの)で一気に留めた。他候補の運動員たちは呆気にとられていた(笑)なおこのスタイルは、当市でもKさんから徐々に普及していったようであった。

 

駅前での街宣の様子は先の記事に書いたのである。また0市長にはその恨みつらみ((笑))を発散する良いチャンスだった。ただ市長はその後再選され、当選されたY君は1年で市議を辞し、国政補欠選挙へ出馬され、再び次は市長選挙に出られた。ただ時期が味方せず、今は縁があって大阪市内の区長職にある。またKさんは8年後の選挙で当選され、現在は3期目である。市や議員の不正に目を光らせ、唯一まともな仕事をしている議員だと言って良い。例えば市役所の向かいにある農協のビルに市は2億円近くもの金を出すと聞いた彼は、裁判を起こしてそれを取り下げさせたのであった。当市では農協は市の上層部とベタベタであったのだ。また市長や有力者が料亭へ入るのを監視したり、バス事業体の不正の監視も行った。体を張った活動である。だから市議全てを敵にして、最近でも議会関連で悪質な嫌がらせに遭ったようである。市議会の各議員に関しては、その政務調査費の使徒も極めて怪しいのであった。通常人なら私費のところでも、会派を問わず公費を流用していた。

 

一例を上げれば、共産党でもそうだ。いや、もっとも悪質だと言っても良い。共産党は市政~国政レベルまで、一定の議席を持つ。昔、自民VS社会の時代、当選するハズのない国政選挙でも、共産党は候補者を出し、社会党の足を引っ張った。理由は簡単である。候補者を出すことにより、地方議員の活性化を図るためである。なお国政選挙の供託金は300万円はするが、基礎票があるので落選しても法定得票はある。だから選挙はタダである(笑) そして地方議員は報酬を得、その多くは党に入る。ただまあ議員にとっては丸がかりな選挙で神輿に乗ってればイイ。また政務調査費でも「新聞購読料」やら印刷費などなど、全ては身内に還流するシステムである。まさに日本全国、共産党株式会社である(笑)

 

それで選挙の結果だが、411票、辛うじて法定得票はクリアできた((笑))

 

 

老後資金を稼ぐために「ひなた発電所」を購入する人が増えていることを
ご存知ですか?詳しくはこちら

 

 

Asukal@奇天烈天才駄犬さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス