「ヘマヘマ:待っている時に歌を」(2016年作品)感想 | 深層昭和帯

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ケンツェ・ノルブ監督によるブータンのファンタジー映画。出演はトニー・レオン、ツェリン・ドルジ、サドン・ラモ。

 

 

<あらすじ>

 

ブータンのどこか森の奥深く、12年に一度の壬申の年、ある満月から新月までの数日間。長老に選ばれた数十名の男女が集められ、仮面をかぶり、腰巻をつけ、性別や身分を隠して誰でもない者となって、民族音楽の演奏や舞踊、演劇などを繰り広げる秘密の祝祭儀式。

 

その儀式に初めて参加した1人の男は、隔絶された異世界で行われる謎に満ちた集団生活に戸惑うが、やがて不思議な雰囲気にも慣れ、赤い仮面を被ったある女性の魅力の虜になる。だが女には親しくしている男性がいるようだった。

 

その女は、他の男たちも狙っているようだった。他人の仮面を被ってしまえば、誰がレイプしたのかわからない。赤い仮面の女は、意中の人間でない男にレイプされ、犯人を追いかけた男はレイプ犯に刺殺された。掟により責任は追及されず、葬儀だけが行われた。

 

赤い仮面をレイプした男は、24年後の同じ儀式に参加した。彼は24年間罪の意識にさいなまれており、長老に女はどこかと尋ねた。そこで彼は、殺したのが彼女の夫だと知らされた。

 

彼がレイプした女性は、娘を出産して死んだ。娘は彼の子なのか、夫の子なのかはわからない。だが彼は、娘の居所を聞き出し、都会のクラブへと足を運ぶ。娘かもしれない女は、しなを作り男に寄り添った。男は「ここで働かなくてもいいとしたらどうする?」と尋ねた。

 

女は「囲いたいの? ちょっと待ってて」と告げて店の奥へと入っていった。

 

<雑感>

 

仮面をつける儀式に参加することは、どこの誰でもない人間になって仏や神と向き合うことになる。そこでは文明的なものは何もかも捨ててしまわなければならない。一方で、その儀式の中にも都会の文化は流れ込んでいる。

 

果てしない儀式の連続の中で、男が女を襲ったり夜這いをかけたりするケースがあるが、その裁きは仏や神に委ねられているので、人間はその人物を裁かない。アメリカ人なら「ラッキー」みたいなものだろうが、ブータンの人間はそうは感じない。24年間、強姦した罪と、殺人の罪の重さに苛まれて、死んだような心持でいたという。

 

その人物が、贖罪のために娘かもしれない女に会いに行く。このシーンは冒頭とラストしかなくて、説明不足なので解釈が難しいところだが、儀式に参加して何者でもない誰かになった男が、強姦魔と殺人者になったことを考えると、その娘は都会のクラブで何者でもない誰かになり、売春をして生きていると解釈していいのではないか。

 

時代が移り変わり、まったく違う文明になってしまったブータンだが、人間の本質や、罪の本質は変わらないことが描かれていたと感じた。古い文明も、新しい文明も、形が違ってもその底流には欲がある。失ったのは信仰だけなのだ。

 

☆3.0。違う解釈がいた人がいたら、その意見を聞きたいものだ。