https://youtu.be/tb4bj3YaG6A
1980年6月5日発売。作詞・作曲は長渕さん、編曲は瀬尾一三さんが担当。 元々はアルバム『逆流』(1979年)に収録されていた曲ですが、長渕さんは叙情派フォークと混同されたくないためにシングルでのリリースは検討していませんでした。しかし、全国各地の有線ランキングにおいて1位を獲得し、シングル化を要望するリクエストが殺到したためライブツアー終了後にリリースする事となりました。
歌詞の内容は女性に裏切られた男性の失恋を題材としており、ファンク・アレンジによるシティ・ポップ風のバラードとなっています。 オリコンチャートでは8週連続で1位を獲得。
長渕さん本人にとってはあくまでアルバム中の1曲であり、叙情派フォークのミュージシャンとして捉えられたくないためシングルカットを半年遅らせた経緯があります。これは、「半年間で全国をツアーで回り、その間に自身の存在と音楽性を確立してからリリースすべきだ」との本人の考えがあったからです。またシングルカット以前は「順子」は長渕さん本人の言によれば「冗談ソング」であり、ライブでは「俺を振った女の歌を歌います」というMCで観客を笑わせた後、歌うのが通例となっていたため、そういう歌をシングルにすることに抵抗もあったといいます。
当時大ヒットしたことにより、テレビの音楽番組から出演依頼が殺到しましたが、長渕さんはテレビ出演に否定的だったため、出演を断っていました。しかし、身体障害者のファンから送られた「ライブ会場に行くことができない」というファンレターを読み、出演を決意。1980年7月31日にTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年 - 1989年)にて初出演を果たした。その際、なるべく普段のライブに近い形で演奏するため、1分間MCを行い、アコースティックギター1本で演奏しました。また翌週の8月7日には本人も出演する「HOT JAM'80」の会場(静岡の日本平)からの中継で出演し、集まっていた他の出演歌手が演奏に合わせて手拍子を始めたとたん、長渕さんは演奏を途中でやめ「これは失恋の歌なんで、手拍子は勘弁願いたい」とたしなめ、もう一度初めから演奏し直すという一幕もありました。生放送でオンエアされたこの流れは、当時のコンサートでもたびたび会場の客と行われていた、一種のネタでもあります。しかし、これらの言動が周囲の誤解を招き、また「生意気だ」と陰口を叩かれる事となりました。
しかし、後にこの曲はライブでは一切演奏されなくなっていきます。その理由として、後にベストアルバム『FROM T.N.』(1983年)の中で、自分の曲が自身から切り離されていくという複雑な心境を語っています。 『ザ・ベストテン』に「SUPER STAR」(1986年)で出演した際も、「ヒット曲は一生その人を苦しめる」という植木等さんの言葉を借り、「順子」に関して「今のステージングからは外れている」と語っています。また、ベストアルバム『いつかの少年』(1994年)においても、「順子の長渕」というレッテルを貼られ、克服するまでには10年掛かったと当時の苦しい心境を語っています。
世代的には、声が変わってからの長渕剛さんの印象が強いですが、きっと真面目が故に、誤解もされ、自分の弱さと葛藤し、今に至ったのでしょうね。僕は以前に長渕剛さんの記事を書いた時に、ライブに参加した時のことを書いたんですが、しゃがれた声なのに、ギター一本で弾き語りふっとこの時期の透明感を感じる瞬間がありました。
これだけ歌唱法を変えて売れたということは、しっかり時代に迎合しているってことでしょうね。当然、聴く側の好き嫌いはあるでしょうけど。