ノッテ・ステラータ
 
 
サン・サーンス作曲の「白鳥」に、星降る夜の愛をテーマにした歌詞がついた曲
 
 
「僕がスケートを続けるきっかけになったプログラムの曲と同じテーマ。自分の胸の中からわき上がるものがある。前回は飛び立つところまで。今回は全てを優しく包み込んで、前に進むイメージ」
 
 
 
昨日、この曲とゆづの姿を思い浮かべていました
 
 
 
これを見てきたの、家族で
 
 
私の住むところでは『星空とともに』だけの投影だったんだよね
震災から8年
 
これは完全に私事ですが、息子のboyの年齢が震災からと同じ年数になるんですね
 
 
これはこの先、一生続いていくもの
 
10年経てば10歳
18年経てば18歳
25年経てば25歳
50年経てば50歳です
 
 
なんとなく…すごく勝手な思い込みですけど、意味があると思っているんです
 
私にとっても、boyにとっても
 
 
忘れないようにっていうと変ですけど…
あの当時0歳だったboyを抱いて、震えながら泣きながらテレビの中の信じられないような現実を見ていたこと
 
どうしても同じくらいの子どもを抱えたあの場のお母さんたちのことを思ってしまって…もうどうしようもなかったです
 
居てもたってもいられずに自分にできることをできる限りでしました
 
そのしようという強い思いに駆られたこと、動かずにはいられなかったこと、微々たることですが続けてきたこと、その気持ちというか…そういうものをね、忘れないようにという意味で、boyの年齢と毎年重ねている自分がいます
 
戒めっていうと重いかもしれませんけど、大事なことを息子の姿と年齢に込められているような気がするんです
 
 
同じ赤ちゃんでも、あの日とその後に失われてしまった命もあれば、うちのところのように8歳にまで成長させていただいている命もある
 
そういう意味でも、boyの姿はいろんなものが私のなかで重なります
 
 
 
 
で、小学2年生になったし
そろそろ話すだけじゃなくて具体的に見たり体験したりすることもいいかなぁと思って一緒に行きました
 
“震災”っていう言葉はまだ難しくて、事前知識としていろいろ噛み砕いて話しておきました
 
 
 
まあ、なんとなく…普通のプラネタリウムじゃないということは理解していたようです←8歳だからザックリ理解^^; 
 
 
 
ここで語られる言葉と映し出された星空は…私の想像を超えるものでした
 
 
もちろんゆづの言葉も思い出していました
 
 
 

東北の人たちが見上げた空…
 
あの日の星たち
 

これってね、私勝手に…今までは“すごくきれいな癒しの星”だとか“あの日の東北の人たちの心を救った星たち”って一括りにしている自分がいて…

なんていうか、“そう思いたい”っていうのもあったのかもしれない

美化するっていうと少し違うんですけど…やはりそう思い込んでる自分がいたなって昨日実感しました

これは被災当事者ではないからかなとも少し感じました
 


あの日の空、あの日の星たちっていうのは、やはりその感じ方受け止め方は人それぞれで…

“あんなに辛い星空”と表現する人もいれば
“希望の光”と表現する人もいる

当たり前ですけど、きっとその感じ方見え方は星の数ほどあるんだろうなって語りを聞きながら思いを馳せていました



3月11日

『地上で大変なことが起きているのに、いつものように当たり前のように沈んでいく太陽』

この表現に(一言一句違いない記憶ではありません、メモなどとっていないので)自然の摂理への当時の哀しい気持ちが込められているなと思いました

普段はなんでもない(太陽が沈むという)ことなんですけど…それがあの時は取り残される感覚になったり、見放される感覚にもなったんだろうなと

太陽が沈むと真っ暗だもんね
明かりがないんですもん



そして『非情の雪、無情の星』

この言葉にも胸がサッと静かになりました


津波でずぶ濡れの凍てつく体に雪は非情に感じ、星は…無情なんだなと…

そう感じる現実のつらさは私には想像すらできません
 



あの日の空は、流れ星がたっくさん流れていたといいます(これは私は初耳でした)

それを亡くなった人たちの命と重ねて見られない人もいれば(きっとニュースなど知ることができない状況の中、いろいろ察したんだろうと胸が押しつぶされる思いがしました)、でも子どもたちはそれをそのまんま受けとっていたんだね


その純粋な反応に…涙が出てきました


大人が現実のあまりの大きさにショックを受け打ちひしがれている中、きれいな星空を見て嬉しそうに喜ぶ子どもたちの姿は…私はそれこそが希望の光だなと思いました


なんとなくね、神様の采配というか…配置したというかね、必要なところには子どもを置いたんじゃないかって、勝手に思っていました

その子どもたちの純粋な姿に我を取り戻し生気を帯びてゆく大人たちが実際にいたんですから


あんなに真っ暗な闇夜のなかにも
やはりキラキラとした輝きってあったのかなって…昨日そんなことを思っていました

 

『千年に一度の天変地異』
『真っ黒な海を目にし、まるで爆心地へ向かうような感覚を抱きながら高齢の母の元へ急ぎました』

その時見上げた空に言葉を失ったこと

『失意のどん底にいる自分に星たちが降り注ぐように瞬いて希望の光に見えた』

『あの光は、あの日亡くなった方が道に迷わないように導きの光となって指し示しているんじゃないかと思いました』


もうね、語られる言葉に…私は想像することしかできないのだけれど、漆黒の闇と美しい光の両極を感じて胸がいっぱいになりました

 
 
 
やっぱり…なんとも言葉に尽くせない夜だったのだろうなと想像しました

 
 
私ね、昨日プラネタリウムであの日の星空を見て語りを聞いていて…星が見上げる位置にあったということも一つの意味のような気がしてね

や、当たり前なんですけど…

なんと言うか…たとえば星が地面にあって顔を下げないと見られない、下を覗かないとわからない、誰にでも見られる位置にあるものではなかったとしたら、また人の心情は変わっていたんじゃないかって


“上を見上げる”ということだけでも、あの日には意味があったような気がしています

顔を上げるということの大きな神からの導きというか自然采配のようなね
(現に見上げて星空を目にした途端、涙が溢れ出たというエピソードもありました)
 
 
 
 
昨日50分間プラネタリウムを見ていて、なぜかノッテ・ステラータのゆづの姿が思い浮かんできて…というか、ずーっと途中から重ねながら見ていました

なんとなく…ゆづがこれを滑ろうと思ったのがわかったような気がしました
 
 

終わってね、boyと顔を見合わせて…

(内心これは8歳の子には難しかったと思います。言葉が一つひとつ難しかったですし、きっと意味がわからないところや理解ができずにピンとこないところもあったでしょう)

でもね、私の顔を見て第一声が『ママ、泣いたやろ?』って


うん、これを聞いてなんとなーく大事なところと大まかな主旨は伝わったかなと思いました

今回はこれでいいと思います

『きれいだった…』ってboyふたことめには言いました



私ができること、ほんのほんの小さなこと

でも息子boyの中に、これから先なにかが宿り生き続けるといいなって思っています

願いも密かに込めて




アンパンマンのマーチや花は咲くが流れたことも歌詞を噛み締めながら聴きました

最後の小学生の子の言葉『心のどこかで覚えていてください』

これは当事者でない私たちへのメッセージだと受けとめました


いつも思うんですけど、私はゆづが好きなので、“ゆづが○○と言うから”“ゆづが○○するから”というきっかけで震災や被災地へ思いを馳せることをします

が、やはりひとりの人間としてこのことを心に刻んでいたいと思いますし、自覚を持って行動しようと思います


“星空とともに”
見ることができて本当によかったです



3月11日
ゆづも祈りを捧げるよね

ゆづ関係なく、私もひとりの人間として今日を捧げたいと思います

そしてやはり今に感謝して今を懸命に生きること、これをまた新たに胸に刻みました


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