昨日、2月7日は

21年前に長野五輪が開幕した日なんだと

 

 

当時私は子どもだったので自分から競技を見るということはなかったけれど、親が見るためにかかっていたテレビを一緒に見ていました

 

だから記憶も…あったりなかったりな感じなんだな

 

五輪の自国開催が貴重だということもわかっていなかったしね

 

 

 

あれから21年経ったんだなぁ

 

五輪…

 

オリンピック…

 

長野…

 

って、去年のH&Fを思い出していました

 

 

ここの会場は

あの2015年NHK杯が行われた場所

 

この後に、五輪マークを指さして

“俺がナンバーワン”かな?

 

ジェスチャーしてたよね(*^^*)

 


 

その通りになった

 

 

そんなことを思う昨日でした

 

 

 
 
さてさて、
もう皆さんご存知と思いますが山口さん
 
懐かしいなー
この文の感じw


マガジンさんっていうと、私はその存在を知ったのはかなり遅くて(^^;;

歴はそんなに長くはなかったのですが、ゆづの言葉をありのままに伝えてくださってすごくありがたかったです


ゆづもCwWで言ってたよね

『自分のインタビューとか見たりする。自分が喋ったことがどう流れるのか研究している』

やはり、見ているんだなぁと



 

今回のコラム一部だけ抜き出し

(キャプは私差し込み)

 

あれから1年といえば、昨年の今ごろ、僕は平昌オリンピックの取材で江陵(カンヌン)という街の(おそらく現在は)マンション、当時は「メディアビレッジ」と呼ばれていた報道陣用の宿舎にいた。

 

オリンピックの取材は派遣する人員の数にも制限があるので、すべて1人でやるしかなかったし、仕事だから不満はなかったものの、大きな不安が2つあった。「NHK杯で右足を痛めた羽生結弦は演技ができるのか」、そして「僕はフィギュアの取材チケットを手にすることができるのか」ということだった。

 

チケットに関する不安は解消されたが、もうひとつ、大きな不安があった。「羽生結弦は本番で、自分の滑りができるのか」。こればかりはもう、取材者の立場ではどうすることもできない。2月11日に羽生が仁川国際空港に降り立っても、その思いは拭えなかった。姿を見ることができてよかったという安堵感と、「ちょっとやせたんじゃない?」という、都会で下宿生活をする息子を案じる母親のような気持ち。

 

翌12日には現地で初めての氷上練習があり、リンクサイドの報道エリアをテレビカメラ、スチールカメラ、記者やキャスターがぐるりと取り囲む中、羽生はひたすらコンパルソリーのようにエッジで氷の表面にトレースを描き続けた

リンクを取り巻く妙な緊張感をよそに、羽生はマイペースでエッジングを確認してから、最後の最後にスピードを上げてトリプルアクセル。上機嫌でリンクから引き揚げたが、それでもまだ「本番は大丈夫なのか」という不安は残った。いや、今にして思えば、この時点ではおそらく100のうち70くらいのコンディションだったのではないか。アクセルを跳びはしたけれども、ただひたすらのエッジング練習は、右足の状態が万全でないことを暗に示していた。それでいての練習後の明るい表情は、他人の目にはどう映ったにせよ、演技本番までのシナリオは着実に遂行されているという証明でもあったが。
 

2月13日。この日は朝の練習の後、羽生の会見が開かれることになっていたが、まずは練習で報道陣をどよめかせた。4回転ジャンプ、4回転からの3連続と、前日夜の姿とは打って変わった姿を披露したのだ。練習会場はメインアリーナで、スタンドではファンも見守っていた。ファンからの拍手に、ごく自然な笑顔で応える羽生。羽生結弦のスケートは、やっぱりファンがいてこそ完成するんだ。そんな思いがすっと浮かんだ。

 

会見では、世界中の記者、カメラマンがカンファレンスルームに集結した。質疑応答に入る前に、羽生はこう切り出している。

「えっと、本当に自分が、えー、ケガをして苦しい時期…もですけれども、ホントに、年が明けてからも、たくさん、いろんな方々から応援のメッセージをいただきました。そしてホントに、感謝の気持ちで今、いっぱいでいます。まだ試合が終わってないので、こう言うのもちょっと変かもしれないですけれども、本当にたくさんのメッセージ、ありがとうございました。そして、そのメッセージの力も、自分のスケート、演技に、つなげたいなというふうに思っています」。
 
以前のコラムで書いたかもしれないが、その言葉を聞いて、僕の仕事はこれで終わったと思った。これで羽生が勝っても、負けても、メダルが何色であっても、仮にメダルが取れなくても、羽生結弦とそのファンは勝利者だと思えたし、大会の結果がどうであれ、雑誌の構成はやはり羽生中心で行こうと決めた。この日の時点で、羽生がメダルを取れるかどうかなんてわかりっこなかったが、この言葉を聞いて自分の中の迷いが消えた。

個人的な話をすれば、この平昌五輪を境に記者・編集者生活に区切りをつけると決めていた。だから前年11月のNHK杯で羽生が右足を痛めてからも、誌面を通じてメッセージを送ってきた。なぜかといえば、羽生結弦を励ましたかったから——というのももちろんあるが、それ以上に、羽生結弦のファンの人たちに伝えたいものがあったからだ。応援している選手の演技に、勝利に、拍手を送る人は数多いるし、それはそれで正しいファンの姿だと思うけれど、羽生結弦のファンはそれ以外の、栄光とは真逆ともいえるシーンにも向き合ってきた。

羽生が痛い思いをしているなら、その痛みを分け合って、どんなときでも伴走してきた。選手が苦しい時こそ力になりたいと願う、あなたたちの生き方は正しいんですよと、誌面を通じて伝えたかったのだ。実際、販売部の担当者は「無理することありませんよ。ネタがないんだから発行は中止にしましょう」と言っていたが、僕にはそれが最善とは思えなかった。「確かに、今回のケガでいくつかの雑誌は発行を取りやめるかもしれない。でも、こういう状況だからこそ、雑誌をつくる意味があるんじゃない? 困難に立ち向かう羽生と、それを支えるファンの人に、あなたたちは正しいんだと伝える意味が」。当時は経営者ではなく従業員だったからそんな冒険めいたことが言えたのだと、今では思う。ただ、羽生のケガのあと、オリンピックまでに発行した2冊の雑誌がファンの人の心に届いたのだとしたら、出版させていただいた意味はあったのではないかとも思っている。

 

僕の頭には、あの11月の大阪中央体育館の光景がずっと残っていた。

やっとの思いでチケットを手に入れ、何日も前から旅の準備をして、はるばる飛行機や新幹線に乗って大阪まで来た人たち。羽生の欠場を知らずに会場に来て、リンクに視線を送りながらも、どこか上の空で、持っていきようのない気持ちを抱えながらスタンドに座っている人をたくさん見かけた。2月13日の会見で、何よりも先にファンの人への感謝を口にした羽生を見て、あの大阪の人たちに「よかったね。思いが報われたね」と言いたかった。

 

いま、アイスホッケーを取り巻く状況を見るにつけ、フィギュアスケート会場の「熱」を思い出す。チケットの争奪戦に始まり、入手できたらできたで勤め先や家族に対して万全のフォローをしてからファンの人は遠征に向かう。その大多数は働く女性、家庭を持っている女性だ。豚肉を多めに買って生姜焼きの汁に浸し、唐揚げと麻婆豆腐を大量に作り、トイレットペーパーとサランラップの残量を確認してから、「お言葉に甘えて行ってきます。おかずは作りすぎると傷むので、足りなければ電話の横に置いたお金で買い足してください。イオンは火曜が特売日です。おみやげにフェイスパウダーを買ってきます。美津代」という置き手紙を残し、早朝、家族を起こさないように家を出て、キャリーバッグを転がして駅まで向かった経験を持つ人は、きっと多いだろう。

 

そうして支えてくれたファンを思い、自身とファンの気持ちを「演技につなげたい」と羽生は言った。さあ、あとはもう目の前で起こることをすべて受け止めて、それを誌面で伝えるだけだ。会見のあった2月13日の夜、パンツ一丁でコンビニのおでんを食べながら、僕はパソコンに向かった。その3日後と4日後に、言葉で形容しがたい景色を見るとは想像もせずに。

 

 

 

私ね、過去に山口さんのコラムを読んでびっくりしたことがあったんですけど…


平昌五輪後に書かれたもの



ゆづが韓国入りした翌日の2月12日

その公式練習の様子を見て

 

『氷に下りても羽生はなかなかジャンプを跳ばず、右足の状態は相当悪いのだと思わせた。』


ってね、書いていたの

 

 

これ、私たちには当時まったくない発想だったから…


てっきりゆづの足は良くなっていると思っていたからね


ジャンプを跳ばないのも作戦くらいに感じていた



それを、“(この場で)羽生がジャンプを跳ばない=足の状態が相当悪い”と見抜いてわかっていたというところが、さすが…すごいなぁと思いました



で、心に留まったのは

この事実を“当時書かなかった” “当時発信しなかった”ということ



“すべてが終わった後に書いた”ということ



それが、なんとなく…書き手としての心構えを感じたというか…ゆづへの配慮と想いなんじゃないかなぁと思いました






平昌前のあのNHK杯も、私現地にいましたけども…こんなふうにファンに寄り添って書いてくださる方がいるんだということ、純粋にすごく嬉しかったです



あの混沌とするような一種異様な空気漂う中で、ファンも記者さんもカメラマンさんも、みんな…持って行き場のない複雑な思いを抱えていたと思います



あの当時ね、私

カメラマンさんとか…ツイされている方々の呟き、覚えているんです


たぶんあんな時だからこそ本音が出て

その人の本質(本性)を見極めるのにヒントになるだろうなぁと思って記憶しています




そんななか、マガジンさんは

現地の事実を記してくださるのと同時に、私たちのようなファンにも焦点を当ててくださって、すごく心が救われたような気持ちになりました



もちろん、マガジンさんも出版社

完全な商売ですからね



書き手があって買い手がある

この構図は絶対的なものだと思っています




当然、なにがファンに受けて

なにを書けば書を手に取ってもらえ、購入してもらえるか、利益が出るのか、話題になって購買層を確保できるのか、というところありきのものだと思っています




でも、だからこそ

“なにを書くか”

“なにをどう報道するか”は大事で


光を生きるか

闇に生きるか


そこが分かれ目…

発信者、出版社、メディアとして重要な起点なのだと思っています





あのNHK杯を


『ファンの人も必死に「前」を向いていた。』


そう書いてくださった方、社はたぶん他にいなかったと思うし、当時現地に居た身としてはあの言葉はずっと忘れられません

 

 

 

なんだか、いろんなことを思い出しながら昨日のコラムを読ませていただきました

 

 

 


今年の桜開花予想が✲*゚

 
ワールドの頃は桜が咲き始めるかな(*^^*)

 

ワクワクするね❀.*・゚


 


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