昨日ねー、
おそらく今年最後になるであろう
かき氷を食べに行ったの
 
こちらに越してきて見つけた
老舗の和菓子屋さん
 
迷ったけれど
生姜ミルクシロップに“おいり”トッピング
 
めっちゃ美味しかった(  ;∀;)♡
 

ここでも何度か書いていますが
最近読み始めてくださった方へ
 
これが“おいり”です
 
私の住む地域特有の菓子で
(全国でもここだけなのねー)
嫁入り道具に欠かせないもののひとつです
 
おいり→お入り かな?
 
現に私も結婚する時に
夫の実家近所100軒以上に配ってまわりました~
(親と“よろしくお願いします”って)
 
 
 
そんなおいりですが、
今やソフトクリームやパフェ
パンケーキなどにもトッピングされており…
(甘くて口に入れた瞬間サクッと溶けるの)

boyも大好きw
 
ってか、
全国規模になってるのなーーーー!!
 
インスタ映えや口コミの効果もあって
東京や大阪、都会でも食べられていると~!
 
すごいー
ここで紹介した数年前は
そんなんじゃなかったのにーwww
 
 
 
これは2週間ほど前に
うちの近所にお嫁に来られた方からいただいたもの
 
中身はおいり♪
 
おいり(お入り)は、おいり豆とも言われ
 
“マメに暮らせよ”
“先方の家や土地の人たちにかわいがってもらって、元気に暮らしなさい”
“心を丸く持ってまめまめしく働きます”という
 
一粒一粒に様々な想いを託し
幸多かれと娘の幸せを願う親心が込められています
 
 
そんな話をかき氷を食べながら
boyにわかるように話していたら…
 
なんかウルウルなってきて(  ;∀;)←
 
 
 
1500年代から始まったとされる習わし
ずーーーーっと続いているということに壮大な流れも感じますし
 
またそこに自分が乗っているということも嬉しく思い
 
今も昔も
親心というのは変わらないのだなぁと
 
素敵な話だなぁと
胸がジーンとなっていました(  ;∀;)
 
 
 
時代や背景の違いはあれど
そういう、人を想う気持ちって
普遍的であると実感するひと時です
 


 
 
ゆづについても
羽生家の想いが伝わってくる瞬間があります
 
彼が両親や家族について
詳細に語ることはほぼないですが
それでもその関係性が垣間見れる話は
貴重だなぁと思って見聞きさせてもらっています
 
これは進研ゼミの保護者向けの冊子
 
 
 
ゆづのこの計画性と(中学生ですよ?!)
自分に合ったやり方を見出していく能力
“今”を最大限に有効活用していく姿に驚きです
 
 
印象的だったのがお母様の
『今やるべきことはそれでいいの?』という言葉
 
 
完全に考えさせる主導性を促していますし
強制による負のサイクルも生み出していないなぁと感心しました
 
 
これ、心痛い言葉だなぁ(  ;∀;)
やりなさい!とか言いまくってるかもーw
 
 
 
でもゆづだって小学生の時は
夏休みの宿題『やりなさい!』って言われて…
こんなんなっちゃってたもんねwww
 
 
思うに、
中学生ゆづには中学生ゆづに合う言葉を
ちびっ子にはちびっ子に合う言葉を
その時々に考えてかけられていたのかなぁ
 
 
本当に必要な言葉を
 
相手のためになるように
 
 
 
 
そしてこれも
すごく記憶に残っているやりとり
 
あのニース
 
17歳
初めての世界選手権
 
ショート直前の練習で足を捻挫
からの
ショート7位という結果
 
 
 
くじけそうな気持ちで迎えた
フリー前夜
 
 
「自分を取り巻く人たちのことについて真剣に考えたんです。母にも『この状態でよく頑張ったんじゃない』と言われて。そこまでやれたのは早急に跳べるようにしてくれたドクターやトレーナーだったり、声援を送って支えてくださった観客や、仙台にいる人たちがいたからだよね、というような話をしました。応援してくれる人たちを思ったとき、怪我はあっても、それは関係なくフリーは頑張ろう、という気持ちになりました」
 
 
この時のやりとりは
蒼い炎IIにも詳しく書かれています
 
「ショートの前の日に怪我してしまったのでそんな中で『4回転降りてよくやった』みたいな感じを持ってしまっていました。

自分一人で頑張ったって。
 
 
でもショートが終わってから
『それは違うよね』と母親に言われました。
 
結局、怪我したのだって自分のせいだし、助けてくださった方もたくさんいて、応援してくださる方もたくさんいる。
 
だからこそ
ここまできたんだよって。
 
夜9時くらいまでご飯を食べながら
そんな話をして、最終的に自分の考えは違うということもわかりました。」
 
 
 
 
奇跡の始まりは
お母様の言葉あってのことだった
 
 
自分を見つめ まわりに感謝するという今の彼があるのは、こういうお母様とのやりとりが積み重なってこそなんだということを、すごく実感しました
 
 
 


そして個人的には

この時もかなり印象に残っています

 

2015年上海ワールド

 

当時のNumberより書き起こします

 

 

その夜、ホテルに戻り、母の首にメダルをかけて「ありがとう」と伝えた。子供の頃から欠かしたことのない儀式だ。

 

 

『銀メダルじゃ、やだな』

 

冗談めかして母が言う。本当はメダルの色など気にしていない。ありがとうの言葉だけで良かった。

 

 

 

 

あの激動のシーズン…

 

息つく暇もないほどに

次から次へと試練が訪れた


 

 

氷上に倒れ込むその姿から

彼を一番近くで見続け、見守り

一番近くで支えてきた

 

 

冗談めかして言った短いひと言

“銀メダルじゃ、やだな”

最大の労いと愛情と激励が込められているなと感じました

 

 
素敵なひと言だなぁと
その言い方も想像に浮かんできたりして
胸がキュンとなりました
 
 
 
 
 
平昌五輪後の日本記者クラブでも
親子のやりとりが語られました
 
 
司会者 小学生の頃、スケートのトレーニングを始めて、先生について。でも、それが厳しくて、途中で「野球をやりたい!」と言ってご両親を困らせたというのは有名な話ですけれども。
 
羽生 いやー、ぜんぜん両親は困ってなかったですね。
 
司会者 そうですか?
 
羽生 はい。
 
司会者 「やめるならやめてもいいわよ」という?
 
羽生 いや、「やめたいの? じゃあやめなさい」という感じで、もうぜんぜん困ってなかったです。「覚悟がないんだったらやるな」という感じはありました。
 
ただ、先ほども言ったように、あまりにも特殊なスポーツだし、なによりも先生たちが本当に力をかけて面倒を見てくれてたので、自分の中でも絶対やり通さなきゃいけないという気持ちもあったし。なにより、小さいながらにかもしれないんですけど、今ほどでもないかもしれないんですけど、例えば、9歳ぐらいの時に本当にやめたいと思ったことがあって。「もうやめる」って言って「じゃあやめなさい。野球でもやりなさい」ってなった時に、ふと思い出したのが、9歳だからまだスケート始めて5年経ってないぐらいなんですけど、「こんなところでこれを終わらせちゃっていいのかな?」って思ったんですよ。たぶんその時に気づいたのが、「僕もうスケートに人生賭けてるな」って思ったんですよ(笑)。
 
 
 
思うのは、
この親にしてこの子あり!!ってこと
結局そこ
 
 
だってもう
親歴たった数年のペーペーの私には
到底わかるはずもない境地です
 
 
数々のやりとりをみても
ゆづが最も影響を受けてきた存在であることは間違いないですし
 
というか、親からの“流れ”が
しっかり彼の中に流れて生きているなぁと思いました
 
 
 
その時その時で
その子のためになることを考えて
その子に合った言い方できっとかけてこられたであろう言葉たち
 
 
思うに、
彼が“今を生きる”人であるのは
ご両親も“そう”であった証ではないかと感じます
 
 
 
 
あらためて、
すごいなぁと思う親子のやりとりを見ながらも、その根底に流れる普遍的な想い…
 
 
 
何百年経っても変らない
子を想う親心
 
 

それは…私なんかにも
少しはわかるような気がするなと
 
おいりを見つめながら かき氷を食べました
 
 

おいしかったよ✲*゚
 


 
 
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