誰にも言えなかった。

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昨日、NHKであった番組
『誰にも言えなかった
-震災の心の傷 母と子の対話-』を見ました
 
 
これはあるのを知っていて
見ようと思って見たんですけど…
 
その内容に
1日経った今もまだ余韻が残っていて
うまく言葉にならないような気がしています
 
 
 
 
 
これは、震災を経験した子どもたちにフォーカスした番組で、私がこれまで見てきた震災関係の番組とはまた違ったものでした
 
そして親となった今の私には
いろいろ考えさせられるものでした
 
 
 
 
まず冒頭で
3月11日、あの日から少し経って
現場に戻った子どもたちの映像が流れたんですけど…
 
その場を前に
泣き崩れる子どもの姿
 
 
それを見て
ものすごくショックで…
 
 
 
その泣き声と叫び声が
聞こえてくるような気がして
心が引き裂かれるような気持ちになりました
 
 
そして今もなお
今日も、今この瞬間も
泣き声を上げ涙を流している子どもたちは
無数にいるんだということを思い知りました
 
 
子どもたちの涙は…
見ていて本当に耐え難いものです
 
 
 
と、同時に
 
やっぱり私のような
震災を経験していない者は
見る必要があると思いました
 
 



 
 
 
 
7年経って
当時を振り返る子どもたちの言葉で
印象的だったこと
 
 
『あの時は言えなかった』
 
『言っちゃいけなかった』
 
 
当時10歳前後の子どもが…
こんな風に思ってしまう現実
 
そのあまりの大きさを思い
胸が張り裂けそうでした
 
 
 
 
 
 
 
 
番組で言っていたことなのですが
 
子どもたちの中には
震災直後は普通に生活を送る子もいて
 
数年経って
(トラウマなどの)症状が
出てくることもあるそうです
 
 
 
これは、
いつ出てくるかはわからないものだと
 
その子その子で違うんですね
 
 
見守り対応する方も
これは大変だなと思いました
 
 
 
 
 
 
 
 
番組内のある1例
 
 
当時3歳だった女の子
 
津波から一緒に逃げた家族が
気が付けば居なくて
津波に呑まれたとわかる
 
 
その時目にした光景
たくさんの浮いた遺体が忘れられずに
 
心の傷となって残り
(直後は普通に生活をし、数年経った今)
学校に行けなくなっている
 
 

3歳…
 
聞いているだけで涙が出ました
 
 
 
 
治療の一環で
震災のことを書いた文章を
声に出して読ませるというということをしていたのですが
 
 
話そうとするまでに時間がかかったり
(『声に出したくない。目で読む。』と主張していました)
 
または“回避(咳き込み等)”現象によって
話すこと自体ができなくなるんですね
 
 
 
恥ずかしながら私は
こういった症状を初めて目にして…
 
その心の傷を思い知りました
 
 
 
子どもの心の
複雑すぎるメカニズムを痛感しました
 
 
 
 
 
 
 
また、
母、祖母、妹2人を失くした少女
 
震災から7年経って
“わかったこと”を文章にしていて
 
 
 
『辛い時は誰かに相談していいこと、頼っていいこと』
 
『泣いてもいいこと』
 
 
 
こんな当たり前のことが…
これが7年も経ってやっとわかるなんて…
 
どんなにか心の傷は深いんだろうと
漠然とした無力感に近い思いも
見ていて抱きました






こうした事例は
テレビで放映できるものをしているだけであって、

実は表面に浮かび上がってこないもの、
声なき声、悲痛な現状が無数にあるということを忘れないようにしていたい
 
 
 
 
 
 
それから
これは勝手な私の思いですが
 
トラウマや心の傷といった内容が
ここ数日の自分の記事と重なったりして
幼い頃の自分と重ねたりboyを重ねて見ました
 
 
程度の差はあれど、
子どもの心とは非常に傷つきやすく
また簡単には回復しないということ
 
数年、数十年かかって
やっと向き合えるということ
 
それをここ数日で
私自身の実感として感じるところでした



 



番組を見終わって…
脳裏に出てきたのはゆづのこと
 
 
 
もう今さらの話になりますが
 
彼はすべてをわかった上で
覚悟をもって『震災』『被災地』を引き受け
復興に携わっている
  


何をしても何かを言われ
何をしなくても何かは言われる
 
それでも、
矢面に立つ覚悟を決めて今がある
 
 
その思いは真の心であると思います
 
 
 
 
 
 
しかし…子どもたちの
ああいう現実の映像を見ると…
 
もう…被災程度がどうだとか
被災者ぶってだとか…そういう概念がどうでもよくなる
 
 
そんなこと
どうでもいい話で
 
 
あの時、確かに
 
地震の恐怖を感じ
命が無くなるということを実感し
 
それぞれの
その光景と体験が刻みつけられ
計り知れない傷を負ったということ
 
 
それは事実である
 
 
 
目に見える程度の差など
関係ないのではないか
 
 
 
そんなことを昨日思いました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たくさんの家族を失った人は
その深い深い悲しみと共にあります
 
また家族も失わず家も失わず
それでも“被災者”と呼ばれる人は
常に後ろめたさを感じるかもしれません
 
 
思うのは
どの道きっと
どんな状況でも人は“自分を責める”
 
責めてしまう心理状況に
あるのではないかということ
 
 
 
あの時助けられたのではないか
あの時私だけ早く逃げたのではないか
 
もしかすると
助けを求めていたかもしれない
 
聞こえなかったのでは?
 
 
どうして私だけ生き残ったの
 
自分よりも助かる価値のある人間は
他にもたくさんいたはずなのに
 
 
失った命に対しては、
あんなこと言うんじゃなかった
もっとこうしていれば…
後悔の念に苛まれることもあるかもしれない


また、
自分よりも辛い人はたくさんいると思って
自らの辛さを分厚く覆い隠してしまう人もいるかもしれない
 
 
 
こういうのも
すべて傷だと思います
 
 
見た目の程度などで
その深さや大きさを計ることなど
できないと思います
 
 
心の傷は目には見えませんから
 
 
 
 
 
 
まぁそもそも、
震災経験者でない私なんぞが
震災についての記事を書くこと自体も
後ろめたさと自責の念を伴いますからね
 
 
 
 
人の心は深いなと
いろんな意味で思った昨日でした
 
 
 
 
 
 
 
 
未曾有の出来事
 

生き残った者はその惨劇を目の前にして
 
たった数年では
乗り越えられるものではないと思います
 
 
 
 
 
大事なのは
今私たちに何ができるか
 
しているか
していくか
 
この思いと行動力だと思います
 
 
 
 
彼が示してくれているのは
私にとってはひとつの導
 
 
 
その思いと共にありたいなと思います
 
 
 
 
 
 


震災から7年
 
 
当時0才だったboyは
今は7歳に
 
 
これは一生共にある年齢です
 
 
 

あの時、
わが子を抱いて
震えながら泣きながらテレビを見ていた
 
 
その時に抱いていた思いは
これからも戒めとして
忘れないようにしていたいです
 
 
 
 
 
 
 

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