言葉に掬われる。

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昨日記事への反応
ありがとうございました
 
 
きっとコメントも
難しかったんじゃないかと思います
 
 
 
皆さんの
それぞれの人生経験によって
紡がれる言葉
 
 
読んでいて
胸が熱くなりました
 
 
 
 
 
コメ返をしながら思っていました
“あぁ、これコメ返だけで記事になりそう”と
 
 
 
すごく長くなってしまいそうだったので
今日はコメ返内に収まりきらなかったことを
つらつらと書きたいと思います
 
 
いただいたコメントで印象的だった箇所も
(すべての言葉が沁み入っていますが)
少し載せさせてもらいますね
 
 
できればまとめて
きれいに記事として完成させたかったですが
 
すみません、
順不同の列挙的に書かせてもらいます
 
 
 
お付き合いいただける方どうぞ
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日記事をあげて
最初にいただいたコメントです
 
 
ゆづ君応援ブログを読みたくて、私はバラブログを始めました。

そしてちぇりんさんに会えたのね。
 
 
 
“ちぇりんさんに会えた”
この一言に凝縮された思い…
 
なんだか、昨日の私のすべてを引っ括めて
『会えたんだからそれでいいじゃない』と、
 
優しく背中をさすってもらっているような…
そんな感覚になりました
 
 
 
 
 
 
 
 
ちぇりんさんのブログに共感する方々は、ちぇりんさんの本当に伝えたいことをきちんと受け止めて下さっているのではないでしょうか。
 
 
 
あぁ…ほんとにそうかもしれない
 
私が記事で伝えたい芯の部分は…
ちゃんと皆さん見抜いてくださっている
 
 
少しハッとしたと言うか…
 
読者さんからの具体的な言葉で
なんだか…心が救われる思いがしました
 
 
そして、
自分の記事を読んでくださっている方を
もっと信じてもいいのかもしれない…そうも思わせてくれました
 
 
 
 
 
 
 
 
ちぇりんさんが、羽生くんへ迷惑をかけるファンを助長させているのではと言う心配は、殆んどというか、全くないと思いますよ。

でもそうやって、色んな方向から物事を見て、バランスを取ろうとするのが、ちぇりんさんらしいのかもしれませんね。
 
 
 
“ちぇりんさんらしい”
この言葉にジーンとしてしまったというか…
 
こういう言葉って
時を共にしていないと出てこない言葉ですから
 
 
『わたし』というものを
読んでくださっている方はわかってくれている
 
赤裸々すぎるほどに書き続けてきた日々を
少し認めてあげてもいいのかなと…思いました
 
 
 
 
 
そして
似たようなコメントなら
 
 
 
ちぇりんが、
みんなを元気に…ってタイミングで
 
ちぇりん劇場書いてくれてる事、
分かっているよ!
 
 
 
 
 
あとは、少し前に書いた記事
『トロントへ行ってきます。←意識系』を受けて
 
 
こんな時だからこその楽しい記事
ありがとう
 
ちぇりんちゃんの気遣いが沁みたみたい(T^T)
 
元気出たよ~!
 
 
 
 
こういうのをいただいて、
 
“あぁ…私たちもついにここまで来たかぁ”と
ちょっとウルウルしてしまったというか…
 
とうとうこの次元まで来た私たちを
感慨深く思ったものです
 
 
なるべくそういうことは感じさせずに
サラッとマイペースを装って記事アップする
 
これをスタンスとしているのに
 
伝わるものは伝わっている
ちゃんと汲み取ってくれている
 
 
 
心通わせてきた“時”が
そうさせるのかなぁと思いました
 
 
 
 
 
 
 
ちぇりんはブログの中で
他の選手を批判すること 
絶対にしないでしょう??
 
 
 
これも
私が書く上で念頭に置いていること
 
と、言うか…
 
昨日の記事にも書いたけれど
そもそも私はそんな立場にないということ
 
 
それは、
選手のみならず他者すべてにおいて
 
 
 
 
 
 
 
信じられないような
行動を起こす人(ファン)がいたとして…
 
それを、
 
“あんなことして…でも私は違う”
“あの人たちと私は違う”
“私はちゃんとした正しいファン”と、
 
ハッキリとライン引きして
それを蔑んで自分が優位に立つような
そんな感覚は…私は正直しっくりきません
 
 
 
だって、
自分の心を見つめていくと
 
深く深く掘りさげていくと
同じようなものが自分にも必ずあるから
 
 
 
自分も同じなんです
 
 
人間とはそういうもの
大差ないと思っています
 
 
 
 
ともすれば、
“ファン”という括り…
 
 
彼にとっては
ファンはファンでしょうね
 
ファン以上でもファン以下でもない
みんな同じ
 
 
 
だから、
それを超えて行動に移してしまうのは…
やはり現代の“闇”と言わざるを得ないのかなと思います
 
 
 
 
 
 
 
そもそも、
私が他人を批判しないことを信条としたのは
 
大好きなブロガーさんが
それを信念とされていたから
 
(厳密に言うと、批判と指摘と事実を書くということは異なりますね。でも、物事には“書き方”というものがあります。たとえ事実を書いていたとしても、書き方ひとつ、言葉ひとつ、雰囲気ひとつで全体の印象がまるで変わります。趣旨が伝わらず、印象しか残らない。これでは本末転倒、難しいところだと思います。そこがやはり主の力量なんだと。)
 
 
 
そのブロガーさんは
“ゆづが決して他者批判をしないから”と
言っていました
 
 
 
 
 
私はゆづの言葉で
強く印象に残っているものがある
 
被災地を訪問する際に話していた言葉
 
 
これは、
踏み込まれて傷ついた経験がある人の言葉です
 
 
 
 
ゆづが
どんな時も決して人を悪く言わないのは
 
それによって傷ついた過去があるから
 
 
 
 
だから人には絶対にしない
 
 
 
 
 

人間とは攻撃されると
攻撃し返したくなるものです
 
 
でも、
彼は絶対にそうはしない
 
 
 
 
どんなものも
その身に飲み込み
 
すべてを
優しさと愛に変えてゆける強さ
 
 
 
 
とても憧れる
 
 
だから私も
彼の生き方と同じくありたい
 
 
ひとつの願いです
 
 
 
 
 
 
 
 
自分がとてもとても大切に思う人に、自分の行為がどんな影響を及ぼすのか…恐ろしくなることは日々ありますよね。

それは、大切な家族や、子
どもに対しても。
 
 
 
この言葉に
気づかされる部分がありました
 
 
 
ついこないだ書いた記事
 
 
自分に脈々と流れているものが
いいものも、そうでないものも
無意識のレベルでわが子へ流れてゆく怖さ
 
 
 
 
あぁ…そっか…
 
大事だから…怖いんだ
 
 
 
気づかされました
大事だからと、
 
 
 
 
 
 
だから、
昨日の記事で書いた“怖さ”も
 
私はゆづのことが大事なんだと
あらためて再確認したというか…
 
ひとつの気づきでした
 
 
 
 
 
 
そして
ちょっと脳裏をよぎったんですけど、
 
“大岡裁き”
 
 
 
 
子どもがいて
母を名乗る女性が2人いる
 
子の両腕を引っ張りあって
勝った方が本当の母と認めると
 
 
結局
子どもの『痛い痛い』に耐えかねて
“本当の”母親が手を離してしまう
 
 
 
大事な人の『痛い痛い』よりも
自分の“我”を通し続けたもうひとり…
 
最後まで手を離さなかった
その事実が物語るものとは…
 
 


考えさせられる有名な話です
 
 
 
 
 
 
 
 
今の彼を取り巻く状況…
そしてオリンピック直前
 
 
今、彼に何が必要かなと考えると…
決して我を通すことではなく
 
“静寂”かなと思ったりするんです
 
 
 
 
 
ただ、静かにその時を待つ
 
 
 
 
だとすれば、
私はブログを離れることも
 
ひとつの応援なんじゃないのかって
思ったりもします
 
 
 
 
応援しているのに
巡り巡るもので
彼を苦しめているんじゃないか
 
そう思うと
何も波風立たない凪こそ
 
今私にできることかなと
考えたりもします
 
 
 
 
まぁ…何が正解かなんて
わかりませんけどね
 
 
でも、
立ち止まって
 
“もしかすると私は…”
“これは本当に彼のためになっている?”
 
この自問自答
 
こういう危惧がなくなった時こそ
本当に怖い事態なのかもしれません
 
 
 

 
 
 
家族あってのゆじゅる萌え

この最上の愛さえあれば
非常識なことは出来ないし、出来るはずもないしな

書き手も読み手もな
 
 
 
年末に、なんとなく
“思い”をその年の間に出しておきたくて
 
 
 
『あーーーー、ゆづの試合が観たかったよーーーーーーーーー』と、家族の前で言ったw
 
 
するとboyが
 
『ママ、大丈夫や!boyがおっきくなってお仕事したら、ママに羽生選手のカード(クリアファイル)たくさん買ってあげるから!!な♡』
 
 
 
 
…。
 
 
 
か、
カードじゃなくて試合を…( ;∀;)
 
 
なんて声は心の中にw
 
 
 
 
 
うん、
これが最上の愛なんだね
 
目の前にある私の現在(いま)だ
 
 
これが私のすべて
 
 
 
 
 
 
年末の言葉が
ふたたび温度を持って蘇ってきた昨日でした
 
 
 


 

 
光しか知らなければ
人はそれを光だとは気づきません
 
 
影を知るから明るさを感じる
 
もちろん逆もそうです
 
 
その両方に触れて
初めてその明るい世界の素晴らしさを知る
 
 
 
 
 
彼の存在やその演技を“光”と感じるのは
私たちが“闇の世界”を知っているから
 
そう考えると
彼を応援している人すべてを
愛おしく感じてくるものです
 
 

 
 

彼の姿が見えない時は
やはり私にとっては
大事なものがみえる時間です
 
 
自分の心と向き合う
そんな時間を与えてもらっているようです
 
 
 
心の畑をしっかりと耕しておいて
彼から受けとるものを吸収しやすくしておく
 
今できることなのかもしれませんね
 
 
 
 
日々、言葉の難しさと
思いを伝えることの困難さ
 
感じる中で 
 
たくさんの言葉たちに
心を掬ってもらったような
 
そんなありがたい時間でした
 
 
 
感謝しています
 
 
 
 
 
 
 
 
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