こんばんはあっそうかです

今日は最近あっそうかが癖としてやっている、ある事について書きたいと思います
あっそうかの最近の癖、それはズバリ
信号無視をして
やって来る人を
じっと見つめ続ける
です
え、なにそれ?どゆこと?と思われる方もいるかもしれないので、順を追って説明させて下さいね。
ここ最近、赤信号でも車が来てないから、赤信号でも危なくないから、という理由で信号無視をする方を多く見かけます。確かに車も来ていないし、危なくもないのにわざわざ赤信号で止まるのも面倒です。特にせっかちな方や急いでる方からすれば赤信号は非常に邪魔な存在であるでしょう。
しかし、あっそうかは自分を含めこういった赤信号を無視する方を撲滅したいのです(あっそうかは目が悪くて信号を無視してしまう時もあるのでそこは要反省です)
何故なら、信号無視は死にも繋がりうるからです。
「いやいや、さっき自分で赤信号でも危なくないのが分かるって言ったじゃん。これって矛盾してない?」と言われかもしれませんが、それは「危険を判断するのが私達正常な大人だったら」という前提においてです。
この時期子ツバメが親ツバメから飛び方を学ぶように、動物は未成熟である間に親から社会で生きる術を学びます。ですが、人間は親以外の大人からもその術を学びます。時に優しい近所の方々から、時に学校の先生から、時に習い事の大人から、色んな分野の色んな事を学びながら、それらを比べたり合わせたりしながら自らの社会的常識を形成します。無論、常識を形成する為の要素が粗悪なものであれば、その常識は一般的なものからズレることとなります。そして、私達が、いつか、どこかで、誰かの、粗悪な要素を与えているかもしれない可能性は否定しきれないのです。
たまたま気を抜いていた時に赤信号を無視してしまっていたでは済みません。子供にとってはその一回の私達の行動が、不運なことにも画期的で羨ましい行動に見えてしまうかもしれないのです。そうなれば、彼らの常識はそこで形を定めていきます。
そうして得た正しいと思う常識を元に赤信号を渡り続ける子供の末路は如何様でしょうか?
まだ判断能力が十分に発達していない子供だったら尚更どうでしょうか?
さらに、もしも万が一その子供が事故に巻き込まれなかったとしても、その子供が大人になった時の行動を見た子供の行動はどうでしょうか?そこの安全までを保証することは誰にも出来るはずがありません。
だから、あっそうかは
信号無視をして
やって来る人を
じっと見つめ続ける
を癖にしています
私達大人はすっかり成熟しているのにも関わらず少数派になることは怖れます。それはもしかすると世間の常識に沿えなければどうなるかをこれまでの人生で何度も経験してきたからかもしれません。だから、自信のない拙い言葉であっても目上の人には敬語を使いますし、誰も発言しない場では意見があっても黙りこくっています。
そんな大人に効くのは、「それ間違っていますよ」という明らかに一個人による指摘ではなく、「あれ?あの人おかしくない?」という周囲の冷ややかな雰囲気だとあっそうかは考えました。
そのため、僕は信号無視をしてやって来る人達を冷ややかな視線で追い続けることにしています。自分の真横を通り過ぎるまで決して視線を逸らしません。僕一人に見つめられているだけなのに、周囲の誰かに見られている錯覚に陥るよう、表情を変えず、睨むわけでもなく、「今、あなたは異物を見る目で周りから見られていますよ」という印象を相手に与え続けています。
これで事故に遭う方が少しでも減ることを望むばかりです。これからも絶やすことなく続けていきます
今日は信号に関する長々とした話を最後まで読んで頂きありがとうございました、
皆様ごきげんよう
