唯物論的歴史観の公式を解説してみた♪ -その3- | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

《人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体社会の経済的構造を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、一定の社会的意識諸形態は、それら〔土台と上部構造〕に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。》


〇「物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する」…「物質的生活の生産様式」というのは、我々がこれまで学んできたマニュファクチュアや大工業といった生産様式を指している。冒頭で説明したように、これらの生産様式を用いて物質的富を作り出すことは、結局のところ人間自身の身体や人間関係を作り出すことに通じる。だから物質的富の生産様式を物質的生活の生産様式とみなすことができるのである。

 

 では、この生産様式によって制約される「社会的、政治的、精神的生活諸過程一般」とは何か。「過程」(英語でprocessプロセス)とは、物事が進んでいく段取りや流れのことである。したがって生活諸過程というのは、生活が進んでいく一歩一歩、場面場面のつながりのことである。そうした生活の流れをマルクスは、「社会的」生活過程、「政治的」生活過程、「精神的」生活過程の3つに分類しているのである。マルクスの残したほかの論文の内容などから、判断するに、「社会的」生活過程は、他の人間との交流、例えば家庭の団らんや友人との交際などの社交上の生活を意味していると考えられる。「政治的」生活は言うまでもなく政治活動を意味し、「精神的」生活は、以上の二つ以外の思索や芸術、さらには宗教などの精神的活動を指していると思われる。

 

 さて、これら、「物質的生活の生産様式」と「社会的、政治的、精神的生活諸過程」との関係についてマルクスは、「物質的生活の生産様式」が「社会的、政治的、精神的生活諸過程」を制約するのだという。これは、いったいどういう意味なのだろうか。

 

 「制約する」というのは、一定の範囲内にとどめられるということである。「社会的、政治的、精神的生活諸過程」を営むためには、様々な物質的富が必要である。それら物質的富は、言うまでもなく「物質的生活の生産様式」によって生産される。その社会の持つ生産様式が作り出せる物質的富には、量的にも質的にも限りがある。だからそれらの物質的富を用いて営まれる「社会的、政治的、精神的生活諸過程」も、そこで用いることのできる物質的富の量や種類によって制約を受ける。録音装置がまだ発明されていない時代やそれを生産したり輸入したりできない社会では、音楽は生演奏で楽しむしかない。

 

 それだけではない。「物質的生活の生産様式」は、結局のところ人間の社会的関係自体も生産する。人々は、必要な物資的富を手に入れるためには、生産関係を形成しなければならない。生きるためには、食料を得なければならないから、生産関係こそ、人間にとって最も基本的な生産関係である。人間はまず何よりも先に生産関係を形成するのである。その後で生産以外の活動のための社会関係を形成する。しかし、後から形成される社会関係は、生産関係の邪魔になるものであってはならない。邪魔になってしまえば、せっかく今やろうとしている生産以外の活動自体(例えば音楽活動)が、その活動に必要な物質的富の生産がうまくいかなくないために失敗に終わるかもしれないからである。

 

 このように「物資的生活の生産様式」は、「社会的、政治的、精神的生活諸過程」で必要とされる物資的富を提供するという面からと、「社会的、政治的、精神的生活諸過程」のための社会関係が、生産関係を邪魔しないものでなければならないという面から、「社会的、政治的、精神的生活諸過程」を制約するのである


莽崛起(The Rising Multitude )