アソシエは、古典派の作曲家、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンみんな好きですが、その中でも一番ハイドンが好きです。

一番最初に習ったヴァイオリンの先生が、よくコンサートで弦楽四重奏曲などの室内楽をやっていたせいか、その影響を受けて、アソシエは交響曲よりも室内楽が好きになりました。


あるときのコンサートで、その先生がモーツァルトの弦楽四重奏曲「狩」、「不協和音」をやってはりました。

それは俗に《ハイドン・セット》と言われる弦楽四重奏曲集の中の曲でした。


「《ハイドン・セット》って何?」

と調べたアソシエ。


何とそれは、もともとハイドンが、1781年にロシアの大公に献呈した、弦楽四重奏曲集「ロシア四重奏曲」を聴いたモーツァルトが、

「まったく新しい特別な方法で作曲されている」

と感想を述べ、それまで10年近くもの間、弦楽四重奏というジャンルに興味を失っていたのに、再度彼をその作曲に向かわせるきっかけになったわけです。

モーツァルトは、それから3年ほどの間に6曲の弦楽四重奏曲を生み出し、それはハイドンの作品をさらに凌ぐ名作になったのでした。

そして、この連作を完成させた翌日に、モーツァルトは自宅にハイドンを招いて、この弦楽四重奏曲を披露した後、ハイドンへの深い敬愛の念を込めた献辞を添えて、ハイドンに献呈しています。

その連作が《ハイドン・セット》と呼ばれるようになったのでした。


ちなみに、モーツァルトからハイドンへの献辞。(以下、引用。)


「わが親しき友ハイドンに。


広い世のなかに、自分の息子たちを送り出そうと決心した父親は、彼らを幸運によって最良の友となった今日の最も名高いお人の庇護と指導に委ねるべきものと考えました。


高名なお人にして、わが最愛の友よ、ここに私の6人の息子がおります。


彼らは、まことに、長く、苦しい労苦の結実ですが、しかし、幾人かの友人たちが与えてくれました、少なくとも一部は労苦も報われるだろうという希望が私を元気づけ、またこれらのものがいつかは私にとってなんらかのなぐさめになるだろうと期待させてくれるのです。


最愛の友御自身、この都に最近滞在なされた時、あなたの御満足のお気持ちを私にお示し下さいました。

こうしたあなたの御賛意が、とりわけ私を励まし、そのために私はあなたに彼らをお委ねし、彼らがあなたの御寵愛にふさわしいのではないかろ望ましめるものです。


それ故、すすんで寛大にも彼らをお引き取りください。


そして、彼らの父とも、導き手とも、また共になってください。


今後は、彼らに対する私の権利をあなたにおゆずりし、それ故、父親の偏愛の眼が私に隠していたこともあろう欠陥を寛大に御注意くださるよう、そして彼らの意志に反しても、私自身がそうでありますようにあなたの寛大な友情を強く重んじるものに対して、その友情を保ち続けてくださいますようお願いいたします。


親しい友、あなたのこの上なく誠実な友、W.A.モーツァルト 1785年9月1日」



アーティスト: ヴェラー弦楽四重奏団, ヴェラー(ヴァルター), シュタール(アルフレート), ヴァイス・ヘルムート, バインル(ルートビヒ), ハイドン
タイトル: ハイドン:弦楽四重奏曲集

アーティスト: アルバン・ベルク四重奏団, モーツァルト
タイトル: モーツァルト : 弦楽四重奏曲第14番 ~第19番 (ハイドン四重奏曲全曲)