ひどすぎて読むのをやめた小説 | 日刊ラノベリア

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あなたが幸せじゃないから―マンガ家志望の僕は、公園で出会った女性にいきなり1日デートに誘われた。確かにいっこうに芽が出る気配がない毎日だけど…。彼女の名前は詩羽。他人に親切にするのが仕事、と言う彼女に連れ出された街で僕が見た光景は、まさに奇跡と言えるものだった!詩羽とかかわる人々や街が、次々と笑顔で繋がっていく。まるで魔法のように―幸せを創造する詩羽を巡る奇跡と感動の物語。 ―amazon―

 

 

ほい、今回はこの作品のお話から。

結論からいうと、読むのをやめてしまいました(苦笑)

第二話で、もう限界でしたね。

あれほど面白かった『アイの物語』なのに、どうして、今作はこんなにもつまらないんだろう。

第一話の時点で嫌な予感がしていましたが、第二話で確信しました。

マンガ家志望の青年と、図書館の視聴覚ブースで、映画を観にいくシーンがあるんですが、詩羽はこういいます。

「映画は、音を消して字幕と映像だけで見ると、本当の面白さが分かる。逆に音を消すと、インディージョーンズなどの娯楽映画は、本当に間が抜けて観えるの。映画は音楽が80パーセントの意味を持っているの」

いったい、何が言いたいシーンなのか、さっぱりでした。

ひどい暴論のようにも聞こえます。

ある意味、事実かもしれないけど、納得できないものでした。

映画は、セリフや演技、映像、音楽、演出、すべてが合わさって一つの作品だと思います。

どれひとつかけても、その作品ではなくなります。

それを音楽を取り払ってみて、その映像が間抜けに観えることが、作品としての評価だという言い方は、おかしい。

それに、彼女がいかに人間関係のネットワークの構築に長けているからって、

人々のニーズに合わせて、物々交換をスムーズに行わせるワラシベ作業が、人々の幸福に繋がっているというのも、いまいち納得できない。

言ってみれば、これは経済活動です

ヒトやモノ、カネを適宜配分するという行為は、経済そのものです。

この詩羽の活動は、単に、そこにお金を絡ませないだけで、単純に経済活動そのものとしか言いようがありません。

じゃあ、経済活動によって豊かになれば、それで人は幸福になるのか。

もちろん、それだけでなく人々の繋がりもあるんだろうし、人によって、彼女にチャンスを見出してもらった人もいいるんだろうけど、結局、それらは経済活動。

誰かと誰かの利害を一致させ、互いに富を分配する作業に過ぎない活動です。

今のわたしたちがやっていることと替わりありません。

単に詩羽という優れたネットワーク基盤があるだけに過ぎないんです。

じゃ、現在、毎日あたりまえに経済活動を続けているわたしたちは、それで幸せだといえるのか。

難しい質問ですよね。

詩羽自身も言っていることですが、お金が絡むことで、人は幸せではなくなるのです。

これはお金の繋がりだ、ということによって虚しさを感じたり、後ろめたさを感じたりするからです。そこにお金を絡ませないことで、後ろめたさを誤魔化しているだけです。

本当の善意によって、なりたっている関係だと勘違いしてしまいがちですが、そうではありません。ただの利害の一致によって成り立っている関係です。

第一話は、僕にはふに落ちない話でした。

それにずっと、詩羽や他の誰かによって、上から目線で、これは知っているか、こんなことも知らないのか、とやたら説教臭い話が続く。

いまいち読んでいて、鼻につく感じがします。

ぜんぜん共感もできないし、楽しいとさえ思えないのです。

感動できる部分もなく、ひたすら知識のひけらかしが続いていくのです。

実際の現実の知識なんでしょうが、こういう雑学が知りたくて手にとった本ではないので、読んでいて、だんだん飽きてくるわけです。

職場で、ちょっと古い年代の人の興味のない雑学を延々聞かされている気分です(苦笑)

そして、結局、たいしたオチもなく、同人業界のあんなことやこんなことの話を聞かされているうちに第一話が終わってしまいました。

 

 

そうこうしているうちに、第二話。

ここでもう途中で投げ出してしまったのですが、ここでは中学生の女の子の自殺をしようとするシーンから始まります。

彼女が首を吊ろうとしているところで、主人公の詩羽が登場します。

彼女は、ありきたりなテンプレートのごとく、特に興味もないよ、好きにしなよ、という態度で少女に接し、あ、でも、こんな話しってる? あんな話してる? といういつもの知ったかぶりトークを始めるわけですね。

しらけた中学生の女の子は、首吊りがあんまり美しくない死に方なのだと悟り、いったん、やめてしまい、明日に別の方法で死ぬことにするわけですが、その間、詩羽と過ごすことになります。

その間、詩羽がもうやたら大人の立場で上から目線であれこれ話をしていきます。

こんなことも知らないで死ぬなんてもったいない、とあれこれ言うわけですが、正直いって、このあたりで僕は詩羽にだいぶうんざりしています。

そりゃ、中学生のコが死ぬ理由がなんであれ、大人の詩羽からしてみれば、つまらないことなのかもしれませんが、今現在、中学生の彼女にとって、自分の中での世界が今の世界全体なわけです。

彼女の世界の中で、それがどれだけ大人にとってつまらないことであっても、彼女にとっては死ぬのに充分な理由なわけでしょう。

それを、大人の詩羽が、大人の目線で、土足で上がりこんで、つまらないだの、なんだのいう権利はないと思うわけです。

とにかくひたすら、上から目線な物言いに辟易してきたところで、少女をあるお笑い芸人のところに連れて行って、路上ライブを見せるわけですが(このコントが物語の中で描かれているけど、さっぱり面白くない。でも満場爆笑の渦みたいに描かれている)、ライブが終わったあと、詩羽のところに芸人がやってきて、さも、親しげに話しかけます。

「俺ら、詩羽さんのおかげでデビューできたんだ」

そんな彼らをわたしが宣伝して回ったんだよ、というふうに少女に紹介しているあたりで、もう本を閉じてしまいました。

うん、もう開くことはないだろうな……。

こんなにつまらない小説を読んだのは生まれて初めてでした……。

あんなに『アイの物語』は、AIについての深遠な哲学的テーマ、豊富な科学的知識で描いてくれていたのに、よくもまあ、これほど薄っぺらくも、下らない小説を書いたものだ、と。

こういうハートウォーミング系(少なくともそれを目指して書こうとしたんだろう)は、もうやめて欲しいかもしれない……。

 

 

 

だいぶがっかりした気分ですが、『エクサスケールの少女』をついに手に入れたので、もうこっちに移ることにしました。

ところで、今回は家に送ってもらうんじゃなくて、近所のコンビニに送ってもらったんですが、発送元が近かったせいか、注文して1日で手に入れることができました。

ラッキーw

 

 

 

 

 

 

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