いよいよクリスマスももうそこまでという時期になりました。日本中でどれだけの人がこの時期、贈り物をあれこれ考えているのかなぁと思うとなんだか凄いなぁと思ってしまいます。そして、ボーナス支給、お歳暮、帰郷、海外旅行などなど日本中の商戦が最もたけなわになる時期、まさしく師走ですね。


「プレゼント」と「ギフト」、双方「贈り物」を意味する英語です。辞書をめくると、「giftのほうがやや改まった言葉で、高額・高価な贈り物をさすことが多い」とあり、その他に、公的なかなりの規模の贈り物、寄付などを意味するdonation」、これはよく「ドナー」という言葉で耳馴染みがあります。また、「目下の者へ気前よくもったいぶって与えられる贈り物」という意味で「largesse」(ラージェス)という言葉もありました。


He presented me to his wife.・・・・?彼は私に奥さんをプレゼントしてくれた?、いえいえ、このときの「present」は、「〈人を〉(人に)(正式に)紹介する、引き合わせる,拝謁させる((to ...))」で、「彼は私に奥さんに紹介してくれた」となるそうです。しかし、「to」が「for」になるとヤバイ。


さて前置きが長くなりました。今日はこの「プレゼント」と「ギフト」にまつわるお話を。


プレゼント

present」には、形容詞で「現在」という意味もあることはご存知の方も多いと思いますが、なぜ「現在」という意味になるのかをご存知の方は多くないのではないでしょうか?


present」は分解すると、「pre」と「sent」になり、「あらかじめ贈られたもの」ということを表しています。つまり、「present」は神や自分自身によって既に計画されたものであり、それが「今」という瞬間なのだということですね。よく、「思考は現実化する」とか「人は望んだ通りの自分になる」とかものの本に書かれていますが、最近読んだ本では「世の中の出来事はすべて『あなた』が思うように現実化している」ということが書いてありました。この世の全ては自分の「外」にあるのではなく、「内」にあるのだということだと思います。


一方、「gift」には、単に「贈り物」という意味の中に、「(の)特別の能力;天賦の才能、天資;才能((for, of ...))」、「天の恵み, 幸運な巡り合わせ」、「〈神などが〉に才能を授ける;((受身))という;における)才能に恵まれている((with ...at, in ...))」ということが含まれています。おそらく「gived」(与えられた)から派生した言葉なのではないかと思うのです。(これは違うかもしれません・・・)


私はクリスチャンではありませんが、やはり英語とキリスト教は切っても切れない関係にあると思うと、ナルホドなと頷いてしまいます。で、何が言いたいのかというと、いろんな人から贈られるプレゼントやギフトは、実は自分が望んだものだと考えたほうが世の中上手くいくんだということですね。


時に、贈られたものに「こんなもの、ダサーイ」とか「あの人は私のこと、全くわかってない」とか言っている声を聞くことがありますが、それは結局、天に唾を吐いているようなものですよ、ということ。そう思うことが悪いということではなくて、その贈られたものは、好き嫌いは別として、自分が「ほんとうに」望んでいたものだということなんです。それが、自分の「今」を映す鏡になっていると謙虚に思った方がありがたみが湧くし、幸せをたくさん感じられますよと言ってみたいのです。


どうか、一年に一度だけクリスチャンになるときは、そう思って幸せをたくさん感じて欲しいなと思います。所詮、この世は「以心伝心」で回っているものなのですね。