5月に京都島原へ行って来ました!

以前、梅小路街歩きツアーで初めて訪れた島原

あの時はツアーだったので入る事が出来なかった

とても気になる美術館に行って来ました!


まずは島原住吉神社にお参り

このこぢんまりとした雰囲気が好き


そして前回から気になっていた

角屋もてなしの文化美術館へ

美術館という名前だけど一般的な美術館とは違い

ここは建物の見学がメインになっています

角屋は1641年の島原開設当時から残る

揚屋建築の唯一の遺構として

重要文化財に指定されている建物です


揚屋と言うのは料理屋や宴会場のような場所で

お店にはお抱えの遊女はおらず

置き屋(遊女を派遣するお店の事)から遊女を呼んで客をもてなしたり

客が遊女を呼んで遊んだりするシステムの店です

当時の高級料亭みたいな感じかな

遊郭とは違うんですね


1階は普通に見学も撮影も可能

2階の見学は要予約なんだけどどこから予約すればいいのかよくわからなくて予約出来ませんでした

でも当日行ったら2階の見学に空きがあるので見学しますか?と聞かれて、無事に見学できました♪

ラッキー!

因みに2階の撮影は全面禁止でした


見学はツアー形式で台所から始まりました

台所の入り口にある竈は

実際には使用せずに神様を祀っているそうです

台所の神様ですね


流石は大型宴会場のお店、台所が広い!

竈がいっぱいある

釜も大きくて凄い!

一度に大量の料理を作っていたんでしょうね


料理を運ぶ為の広い部屋
広く使えるよう柱が少ないのが特徴ですが
それだと強度に不安があるとの事で
現在は新しい柱を2本追加して補強されてます
(2枚下の写真に写ってます)

何もないとただ広いだけやけど

ここに机とか置いて盛り付けとかしてたんやろな


広間の端には帳場があります

左側の細い柱は補強用に追加されたもの
めっちゃ違和感ある

帳場
当時の支払いは基本的にツケ払いでした
新撰組もここにめちゃくちゃ入り浸っていた様子
でも、新撰組のメンバーがあまりにもツケで飲みまくるので、とうとう新撰組側が店にメンバーの出禁をお願いするまでになったそうです
どんだけ飲んだらそうなるんや!!笑笑
更にその書面が残っていてこの部屋に展示されているのですよ(展示品の撮影は不可なので写真はありません)初っ端から面白過ぎるわ

箱階段

この階段は現在登れませんが

下に付いてる小さな引き出しにときめきます!

こういう階段見る度にいつも思うけど

よく階段を収納にしようと思いついたよなぁ


台所の見学が終わったところで

一旦外に出ましょう

こちらがお店の正面入口です

お客さんはここから店に入りました


こちらは正面入口の中から外を見た景色

赤い壁が特徴的ですね

赤壁は寺社の書院などに使われた高級壁で

店の格式の高さを表すもののようです

入口前の空間も素敵やな


こちらから見て突き当たりを左へ行くと
本来の門口があるのですが現在は締切られてます

閉じられた門の前には蔓三つ蔓という

角屋の家紋の描かれた暖簾が展示されてました


そしてその横の柱には大きなキズがあり

新撰組の刀傷との説明が…

結構深く切ってもうてるやん

新撰組、暴れ過ぎ!

高級料亭なのに酷いですね…

再び入口から中へ戻ります
入口から台所へ入って直ぐの所にある刀箪笥

店に来たお客さんの刀を預かって仕舞う箪笥

現在で言うとロッカーみたいな存在らしい

お客は入口で刀を預けて部屋へと向かいます

本来ならここで刀を預けないと入れないんだけど

新撰組は刀を預けずに店を利用していたようです


それでは部屋を見てみましょう♪

まずは一階北側の「網代の間」

二十八畳の落ち着いた空間

もうめっちゃ素敵やん!!


天井のこのデザインが素晴らし過ぎて

部屋の名前はこの網代の形の天井からですね

天井が黒いのは元からではなく煤のせいです


当時の灯りは全て蝋燭だった為

部屋は煤で黒く汚れてしまったのだそうです

が、それも当時のリアリティを感じられて良き哉

この襖も元々は金色だったんですって

長谷川等雲筆 「唐子の図」

襖の絵は煤けてよく見えませんが

よく見ると子どもの姿がありました

今は落ち着いて見えるこの部屋も

最初はキラキラしてたんでしょうね


部屋から見える中庭も素敵♪

他にも細かい所を見出すと止まらなくなるので

次へと参りましょう


廊下を通って奥の部屋へ進みます

一見何の変哲もない廊下ですが

この黄色い壁もとても手がかかっているそうです


こちらがこのお店で1番広い部屋

四十三畳にもなる「松の間」です

襖絵は岸連山「金地桐に鳳凰の図」


床の間も素敵です

新撰組が芹沢鴨暗殺の直前に

この部屋で宴会をしたのだそうです

どんな会話がなされてたんでしょうね


部屋は臥龍松の庭と呼ばれる

美しい庭に面しています

障子の真ん中がガラスで外が見える様子も

風情があって良いなぁ


庭の右手奥には曲木亭、清隠斎茶席と言う
趣きの違う茶室が二つあります

茶室は松の間から眺める事しかできませんが

どちらの茶室も重要文化財です

手前が曲木亭

左手奥に一部だけ見えるのが清陰斎茶席

夜は宴会場がメインになる揚屋ですが

昼間は文化サロンとしての役割があり

茶室での茶会が開かれていたそうですよ


そして庭の真ん中まで伸びる松の枝

これは庭の名前の由来にもなった

臥龍松と言う立派な松が枯れてしまった為

二代目として植えられた松なのだそう

元々の臥龍松は庭の奥に幹の一部が残ってました


一階の見学が終わったら二階の見学へ

二階の写真はありませんが

どの部屋も大変素晴らしかったです

二階では八つの部屋を見学しましたが

どの部屋もそれぞれ全く違う趣向が凝らされおり

円山応挙や与謝蕪村の作品が普通にあったりして

高級料亭の底力を感じました


特に素晴らしかったのは

「青貝の間」と呼ばれる

青い壁全面に螺鈿細工が施された中華風の部屋!

青い壁は天然の土の色だそうでそれも凄い

こちらも煤で黒く変色しているのですが

それでも当時の様子がイメージ出来ました

壁に螺鈿細工のある部屋なんて初めて見たよ!

他の装飾も非常に凝ってるしホンマ素晴らしい!

そんでこんな素晴らしい部屋なのに

ここの柱にも新撰組がつけた刀傷がある!

新撰組マジなにしてくれてんの


角屋もてなしの文化美術館

当時の揚屋の構造を知れるだけでなく

貴重な文化財も建物の一部として見る事ができ

更には歴史的に有名な人物が利用していた部屋に

実際に入ってその雰囲気を感じる事ができる

大変贅沢な素晴らしい美術館でした

煤に汚れてたりして一見地味に見えるんやけど

よく見たら凄い物と凄い技術を極めた

今ではもう建てる事のできない貴重な建物で

二階も見学する事ができてめっちゃ良かったです


そんな素晴らしい角屋も

戦争中に建物疎開で取り壊されるところでした

しかし西郷隆盛が行水に使ったタライを見せて

歴史的に大変価値のある建物だと伝えたところ

取り壊される事なく現在まで残る事ができたのだそうです

その大事なタライが台所に展示されていました

西郷隆盛が行水してくれてて本当に良かった!

取り壊されずに残ってくれてありがとう!

ところで見学はガイドさんが部屋を案内しながら説明してくださるシステムなのですが、ガイドさんによっては詳しく説明してくれない場所や案内してくれない場所があるらしく、後から調べるとどうやら私が見学してない部屋がまだあったようです

ちょっと残念

ここ、夏の間は暑くて閉館しているらしいので

タイミングが合えばまた行ってみて

全ての部屋を見学してみたいなと思います




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