グラスホッパー (角川文庫)/伊坂 幸太郎

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☆☆☆☆☆

年明け以来3日続けて伊坂幸太郎です。

さて内容ですが、
本書は3人の視点が交互に展開されていきます。

かつて非合法組織のトップの息子によって妻をひき逃げされた元教師、鈴木。
人を自殺に導く力を持った鯨。
一家惨殺を得意とする殺し屋蝉。

この3人のストーリーが1人の人間を追っていく過程でやがて交わっていくわけです。
核となるストーリーは鈴木の仇であり、巨大な非合法組織のトップの息子である寺原が「押し屋」と呼ばれる人を押して事故に見せかけて殺す殺し屋に殺され、それを様々な人間が追っていくことで展開されていきます。

作品によって様々な個性がある伊坂作品ですが、その中でも本作は異色の部類に入ると思います。
本作を異色たらしめている要素は2つあります。
まず第一に救いようもない形で人が死んでいくことです。伊坂作品では様々な形の不幸が登場し、そのどれもが受け入れがたいものです。ゴールデンスランバーの主人公や、重力ピエロの家庭に起きた事件などは正にそういった典型であるわけですが、本作がこれらと決定的に違うのは、いわゆる端役が主役級の人たちによって殺されていきます。また非合法組織に復讐するために鈴木自身も悪事に手を染めていきます。
いわゆる絶対悪のような存在を描くのは伊坂がよく行う手法です。例えばオーデュボンの祈りの城山やラッシュライフの画商などがそれに当たるわけですが、本作で描かれている悪はもっと無機質で生々しく残酷です。

第二に非常に文学的な要素が高いことです。抽象的、哲学的な表現や登場キャラクターが存在します。
例えば蝉は、自分が何物にかによって操られていることを疑い続けており、そこから抜け出ることを願っています。しかし抜け出た結果気づいたことは…。
例えば鯨は自分と向き合った人間に、それまで人生で積み上げてきた罪悪を感じ取らせることによってその人間を死に追いやります。ところがその鯨自身も、自殺に追いやった多くの人間に対する罪悪に蝕まれていきます。
最後にラストシーンで描かれる鈴木の描写は、今までのストーリーを全てひっくり返す一文だった気がします。

本作については伊坂作品にしては珍しくアクションシーンの多い軽めの(ストーリーが暗いということとは別にして)お話だと思っていたのでサッと読んだだけなのですが、再読するとかなり違った感想を持ちそうです。

以下ネタバレ(というか読んだ人にしかわからない内容)を含んだ私なりの考察です。

正直現時点で、答えを出せるほどちゃんと読んでいないのでいずれもう1度読んでみるつもりではいるのですが、現段階の解釈としては、最後の一文は主人公(鈴木)のいわゆる夢落ちの可能性を示唆しているのかな?という気がします。と言っても一般的な意味での夢落ち、というよりはデカルト的な意味での存在に対する懐疑を描きたかったのでは?ということですが。つまり鈴木自身は確かに存在しておりどこかの段階までは彼の思考と事実が一致しているが、どこからかはそれが幻覚に近いものであったのではないか?ということです。
一番の根拠となるのは最後の一文です。本文中で元カウンセラーであるホームレスによると、ホームに立っていていつまで経っても列車が過ぎ去らないのは、幻覚からの覚醒のきっかけであるらしいです。ということは彼はいずれかの段階から幻覚を見ていたことを示します。それがいつからかは定かではありません。あるいはホーム越しに見えた子ども達が幻覚であっただけだ、と言う可能性もありますが、彼はストーリー途中でもところどころ意識を失うような描写がなされています。例えば気づいたら車に乗っていた、というような記述です。(薬などを使用されていない時の話です)
また蝉が岩西と知り合う以前のことを思い出そうとしたときに、それ以前の記憶がなかったことも根拠の一つです。一般的にSFなどで自身の存在を疑う契機としてよく使われる手法ですが、この点も彼が形而上的な存在である可能性を強めます。

ここまで書いておいてなんですが私自身、本当にざっとしか読んでいないのでかなり怪しい分析だとは思います。苦情は受け付けます、というか意見がありましたら是非お願いします。

それにしても引用文献にあった「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」は一体何処で使われてたんだろうか…。前に読んでるはずなんだけどな。