2005-12-24 21:23:57

「日本史広辞典」(山川)の左翼的偏向

テーマ:辞典類のデタラメ

山川出版社といえば、日本歴史の老舗、権威のある歴史専門出版社です。
しかし、驚いたことに、「足尾鉱毒事件」に関する限り、デタラメもいいところ、お粗末としか言いようがありません。
田中正造と一部被害農民の言いたい放題の主張だけで、客観性を欠くだけでなく、内容は明らかに虚偽です。
全く資料を調べていないことがわかりますが、ここには、次のように書かれています。


被害農民は、田中正造とともに明治政府に対して、足尾銅山の操業停止を訴え、東京へ押し出し(大挙請願運動)を行うなど、鉱毒反対運動を展開、大きな社会問題となった。」
「政府は刑事弾圧を加える一方(川俣事件)、鉱毒問題を治水問題にすりかえて運動を分断し、遊水池設置のため谷中村民の家屋を強制破壊した。」


刑事弾圧を加えた、とありますが、それ以前に、農民や田中正造の圧力に押された政府と加害企業が、公害防止工事を行い、すでに農地は回復の兆しを見せていました。この事実をなぜ隠すのでしょう。


鉱毒問題を治水問題にすりかえたとありますが、谷中村の遊水池化は、栃木県会も国会も上流の農民も賛成した事業で、しかも洪水対策ですから、「すりかえ」には当たりません。


とにかく、この辞典の説明は、左翼の学生の一方的な政府への攻撃に似ていて、歴史に必要な客観性などどこにも見られません。



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2005-12-17 20:55:47

政府の公害対策を無視する『日本全史』(講談社)

テーマ:辞典類のデタラメ

「ジャパン・クロニック」という副題がついたこの歴史事典は、主な事項を暦年ごとにまとめて説明しており、「足尾鉱毒事件」は、1897(明治30)年のところ(被害農民の請願運動)と、1901(明治34)年のところ(田中正造の天皇直訴)に解説されています。概要はこうです。


「農民たちは、数回にわたって、集団で上京し、政府に請願をしたが、官憲に阻止された。」
「田中正造は、農民と政府の間に立って斡旋に努めたが、政府の対応は誠意を欠き、請願運動を弾圧した。」
「田中正造は、鉱毒被害の惨状を見かねて天皇に直訴した。」


つまり、政府は何らの公害対策もせず、農民を弾圧しただけだというのです。
しかし、実際は全くの逆でした。政府は加害企業に5回にわたり公害防止工事を命令し、3回目の、「政府が企業に対してとった唯一の厳しい公害防止対策」(宇井純)が功を奏して、鉱毒事件は解決しているからです。


すでに直訴の前に、「激甚被害地以外はきわめて豊作」と新聞は書いていますし(1901年10月6日、朝日)、『田中正造全集・別巻』の「年表」には、「1903年10月、鉱毒被害地の稲豊作」、とあります。


明らかに重要な事実を隠蔽しており、客観性を欠いた不公正な記述です。これではウソの歴史ではありませんか。


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2005-12-11 10:43:22

河出書房『日本歴史大辞典』の偏向ぶり

テーマ:辞典類のデタラメ

この事典も、A5判4段組640ページが全10巻もあり、内容はきわめて詳細です。
しかし、「足尾鉱毒事件」の説明は、きわめて粗雑で、偏向しており、明らかに虚偽の説明をしています。
前回の事典と同一人、塩田庄兵衛の執筆になる文章の問題部分を引用しながら、間違いの理由を説明しましょう。


「古河市兵衛は、被害農民を買収して反対運動を阻止しようと図った。」
田中正造は、こう言っていますが、その証拠はありません。買収の必要もないはずです。


「田中正造は、繰り返しこの問題を議会に訴えて、古河財閥と政府との結託を攻撃し、ついに天皇直訴にまで及んだ。」
「政府が企業に対してとった唯一の厳しい例」、と公害学者・宇井純が言う鉱毒防除工事を、政府は古河に命じています。それには180日以内に完工しなければ鉱業権を取り消す、との条件までついていたのですから、「結託」していると言えるはずはありません。


「被害農民を支援して、社会主義者、自由主義者ブルジョア、農本主義者、キリスト教徒、婦人、学生らが、一致して抗議・救済運動を展開した。」
彼らはほぼ東京に住む知識人で、時期も、被害農地が回復の兆しを見せはじめた直訴の直後でした。しかもわずか数ヶ月で運動は終息しました。ですから、あまり重要な事実とはいえません。


「1902(明治35)年、内閣に鉱毒調査委員会が設けられ、古河鉱業に対して鉱毒予防工事が命ぜられた。」
上の委員会は、上記の抗議・救済運動の結果設置されたのですが、2回目のもので、工事も前回の改善工事に過ぎません。重要なのは1回目の委員会で、この時(明治30年)の命令による大規模予防工事によって、農地が回復し、日本最初の公害事件は解決を見たのです。


いちばん重要な事実を、なぜ隠したのでしょう。田中正造の直訴まで政府が何もしなかったことにしようとしたからです。
明らかに偏向した歴史観によってついてしまったウソですが、中学・高校の歴史教科書は、ほとんどがこのウソの孫引きです。
こんな歴史のウソを、子供たちはどうして教わらなければならないのでしょう。

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2005-12-03 21:04:06

吉川弘文館の大きなミス

テーマ:辞典類のデタラメ

テーマを元に戻し、今回は、角川書店に次いで、歴史書の老舗・吉川弘文館にメスを入れます。


同社の『国史大辞典』は、数多くの日本史の事典の中で圧巻といってよく、1巻がB5判4段組で1000ページもあるのに、14巻でやっと一揃いになる、とてつもないボリュームの大歴史事典です。


昭和54年発行の第1巻にある「足尾銅山鉱毒事件」の解説には、そのためか、ほかの事典には見られないとんでもないフィクションが、堂々と載っています。それは、
「(明治)13年、栃木県令藤川為親が、<渡良瀬川の魚族は衛生に害あるにより一切捕獲することを禁ず>という布告を出した。」
という部分です。


田中正造によるこの言説が真っ赤な嘘だということは、すでに周知の事実だったので、なぜこう書かれてしまったのか不思議でなりません。
公害発生の新聞記事は、明治17年10月が最初ですし、足尾銅山の本格操業も明治14年からなので、研究者の一人が、「これは田中正造の作った虚構だ」と発表して(昭和50年)以来、これが定説になっていたからです。


権威ある事典がこんな間違いをしてしまったのは、田中正造の言説を頭から信用してしまい、他の資料を見ようとしなかったからです。
ほかにもまだウソがあります。


たとえば、事典には、「(鉱毒問題の解決策が)効果のないのに絶望して、直訴を試みるという非常手段をとった」、と書かれています。
しかし、別のところには、「政府は、明治30年、鉱業主に対し鉱毒除害工事を命じたが、その効果はただちには見られなかった。」と記すと同時に、「しかし、渡良瀬川の鉱毒は一応表面から消えるに至った。」との説明があり、文意は明らかに矛盾しています。


直訴の2ヶ月前の『朝日新聞』は、「鉱毒被害地も、激甚地を除くほかは極めて豊作」と報じているのですから、「絶望」の振りをした田中正造にだまされたとしか言いようがありません。『田中正造全集』の年表には、「(直訴の2年後の)明治36年10月、鉱毒被害地の稲豊作」と書いてあります。


この事典の執筆者は、都立大学と立命館大学の名誉教授で、社会運動史の権威、マスコミ界でも大活躍した塩田庄兵衛です。

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