東京と大阪と合わせて、法談レジュメは20本近くになったのでないでしょうかね。

毎回、皆さんの気付きはすごいなと感じてます。感謝


※これを含めて、これまでの法談レジュメは、基本、私は入ってません。

「人間は偉大なことを為すために」「使徒」のみ参加してます。




 転載します。

 

 

 

神詩会の皆様へ

宇宙の法スピンオフ研修
「花束のようなあなた」「はるかなるお母様」法談レジュメ① 
渋谷精舎 2024/6/11

今回、研修の最後に楽曲CDに合わせて合唱をしました。
その感想も入っています。



A この楽曲すごい好きで、聴く度に泣けてくるような、切なくなるような、 そんな気持ちが湧いてくるんですけど、原曲研修に入ったら違う印象が出てきて。
未熟な私だけども受け入れてくれる、主の愛を一心に受けているイメージで。
でも「成長したい、早く主のお役に立って貢献したい」っていう、その切ない思いが入ってきたんですよ自分の中に。楽曲だと別の切なさなんですけど、原曲だと早く成長して 主に貢献したいっていう葛藤が出てきたっていうか。これは自分との問題なのかわかんないですけど、そういう気持ちが1回目で入ってきたんです。
2回目は、「主と元々光で一体となっていた自分の世界を思い出しなさい」みたいな感覚が入ってきて、夢を夢見るってあったじゃないですか。それは「主とまだ遥かなる昔に一体だった、光と共にあった」その記憶を思い出して、少女のように純粋な気持ちで、その心と瞑想して、ピュアな天真爛漫な心で遊んでいた時代を思い出す、愛されていた時代を思い出すことを夢見ることが必要なんだよっていうことを教えてもらったような気がしました。

B 今回は頭で解釈しないで、思いっきり感じとってほしいみたいな、そんなメッセージの研修という感じだったんです。ついつい感じ取ったものを言語化しようとして。そうすると左脳が働くじゃないですか。だからフルに感じ取る、体感するだけで余計な言語を入れない感じ。2回目拝聴からだんだんチューニングできてきた。2回目にもらったのが、「お父様に対する甘え、幼子」と、お母様に対しては「尊敬」っていう感じでしょ。3回目って続けて2曲聞いたじゃないですか。それで「組曲になってるのかな」っていう感じを受け取ったんですね。
父に対して甘えることが、母のことを理想の仏弟子として見てるんですよ。 本当のことを言ったらエローヒム様の方が遠い。
でも遠いはずのお父様に対しては「甘える幼子」になって。次元的に近いはずのお母様に対しては「遥かなる」って言ってる。
そこの矛盾がようやく3回目で折り合いがついて。理想の仏弟子として母親のことを見てるんだっていう感じで、うわーまだまだ心境に遠いなっていう。でも遠いけれども、お父様に甘えることによって、してもらってる感。非常に満足感。
要するに、精進のエネルギー、感謝から報恩と言うじゃないですか。だから感謝の原動力を父に甘えることでもらってるのかな。感謝の原点「与えられた喜び」っていう感じでね「あー、この2つペアだ」って思った。
組曲だというのが今日のフィニッシュでした。

C この歌は私も大好きで楽曲を聞いていると主に愛されてる感があるんです。
今回は「待っててくれる」ってとこで崩壊しちゃって。自分の父親とも重なっちゃったんだけど。びっくりしたのが「星のように愛してくれる」で。少女の時は当然のように愛されている感覚で、お父さん大好きで甘えてる感じはわかるんですけど、この「大人になった自分も、星のように愛してくれる」っていうのが目から鱗で、楽曲聴いてる時、全部これこぼしていると思って。その待っててくれるっていうのが「宇宙創造からの長さ分待っててくれてる」感じがして、ただただ涙が止まらなくなっちゃって。胸にすごく主の愛が入ってきました。
その愛を受けて、遥かなるお母様のところで、 同じく理想の仏弟子として「主のお心」を守るために守り続けてきて来たお母さんをすごく尊敬して。だから「主と共に生きてください」っていう言葉が出てくるんだなって。その大好きな愛の塊のお父さんを守ってきたから。でも自分もその母さんのように続いていきたいなっていう娘の気持ち。その辺の思いが重なってくるというか、自分に。
あと、「そっか!ガイヤ様が産んでくれたんだ」と。産んでくれてありがとうございましたっていうのはセローゼからしたらそうなんだけど。
だけど、先ほどの御法話で「ガイア様は地球を創生する時に宇宙からエネルギーを集めてきた」って仰っていたじゃないですか。だからその視点全然なかったから「私たち人類を創ってくれたお母さんなんだ」っていう元なんだなと。

A ガイア様を意識できる唯一の原曲。なんかすごい貴重なものなんだなって思いました。

C 今回改めて総裁補佐に対して、 普段から主を護って下さることへの感謝はすごく持ってたんだけど、そういう目で見てなかった。

A 人間的な目でちょっと見ちゃっていた。

C 主をお護りするっていうパングルってイメージの方が強すぎて、だからそこも改めてありがたいなと思わせていただきました。

D 私は海外にいて法談というのはないんですよ。
この前に降魔成道館で受けさせていただいて、その時に法談はなくて、ただ魂が打ち震えるぐらいの涙しかなくて。こうやって参加させていただいてる今ね、本当に3人の方のお話を聴いていて正直衝撃。皆さんがどういうふうに学ばれてるのか、先生の言葉とか、紫央様のお言葉、歴史とかどういう風に思われているのか。
法談レジュメを読ませていただいているので、やっぱり違うんだなと思っちゃった。
今こうやってお聞きしていると、余計にとても日本の方は幸福の科学の学びを深く深くしてくださってる。海外はまだ手探りでしかできないけど、海外の支部とか拠点とかやってくださる方もいらっしゃるけど、ほんとに助けてくださっててるんだなって。
すごくそちらの方に感激していて。
原曲の感想は子供さんから見た親を見る目は親の育て方に出るんだなと。
子供のその親を見る姿勢とかは子供が1番よくわかってるから、それをすごく感じましたね。
私もちょっと当てはまるんですが、子供は正直、感受性強い。
やっぱり見てるんだなと改めて思ってました。

E 私が気になったのは、フレーズで「星のようなあなた」かな。星のようなっていうのは講師の方も仰っておられましたけど、なんともふわっとして、イメージがつかみづらかったのが1つですね。
あとは、 正直に言うと全然入ってこなくて。すごい眠気がくるんですよ。もう、もう眠くて眠くてね。間で紫央様の話しを挟む時は頭は晴れるんですよね。歌が始まるとすごい眠くなっちゃうんですよ。
これ私の不徳の課題かもしれないんですけど、自分の中で蓋してるっていうかね、そういうのがあるのかなと思って。そういう面で悪い面での課題っていうか、気づきのきっかけ、多分ここのテーマが自分を弾いてるような気がして。3回あったんですけど、始まると眠くなっちゃうみたい、もう必死でおかしいなと思いながら。そういう意味では新しい視点、気づきとなった原曲でした。

C 今お聞きしていて、もしかしたら子守歌みたいな感じで安心したのかなと感じがしたんですけど。

E そうですね大体優しいよね。メロディラインとちょうどいい気温がある。だから原曲研修、大体正直眠たいとこあるんですけど、今回は特にそうで、おかしいなおかしいなと思いつつ。

C 癒されていて、主からヨチヨチされているとか?

E 癒されて?そうかそうか、そうかもしんないですね、いい風に取れればね。



自由法談


B 両方あるんです。実は癒されるのと自分が思いっきり弾いてる場合があるんです。
私が日光の「知」の原曲研修で「聴きたくない」という感じ。

E そうそうそんな感じ。

B だから普通の反省では絶対見えてこない。自分の傾向性があり、反省の時は赤い眼鏡で赤いものを探しているから見えないんですよ。ところが原曲だとこの「違和感センサー」が働いて、例えば臓器移植の拒否反応みたいな感じ。

そうすると、新しい自分の入り口がそこにあるっていうふうに思い直せて、ようやく立て直した。「なんで俺、日光の『知』は弾くの?ダメじゃないかって裁かないで開拓すべき入口はここら辺にありそうだって」 面白いもん見つけたみたいなね。少年があの洞窟探検に行くような入口見つけたみたいな。自力で絶対見つかんないポイントなんですよ。この原曲の違和感って。

A 体感してみないとあぶり出されない。

B 自力では無理だと思う。だって傾向性で固まってるものが違和感を感じてるんだったら「傾向性にないもの」じゃないですか。
それでいて他人の意見じゃなくて原曲でしょ。ノーって言えないじゃん。だから合ってないのは自分って言うしかない。

C 私の感覚なんですけど、原曲って1人1人に主が子守歌のように語りかてくれてる気がしてならないんですよ。
だからそのまま寝ちゃってる自分もオッケーという感じで、そのまま素直に受けて、全ての自分をその中に受け入れていくと、後でなんかポンって気付きが降りてきたりする時あるから、主が自分を今よしよししてくれてるって感覚でいいんじゃないかな、すごいリラックスした感じでいつも聴いているんですよ。そのぐらい愛がありません?
主の原曲から愛をすごく感じるので、その愛にただただ委ねてると自然に自分の仮面とか妖怪性。それが和らぐっていうか、素直になれるようなところが出てくる感じがするので。

A 感じなかったこととか見えなかったことがね。結構ありますよね。
だから、その原曲を聴いた後に詩集を読んでみると、感動して感動して仕方がないんですよ。
最初、原曲聴く前に詩集を読んでも他人事みたいに読んでる。でも、原曲で主の感情を感じてしまうと「ここまで主は思って、深い気持ちでその言葉を紡いでいるんだ」ってことを見て取れたら、詩も音楽として見えてくるんですよね。曲として歌うように読むことができる。
だからグーって入ってくるんですよ。泣けるまでいっちゃう。だから詩集の読み方がガラって変わりますよね。原曲聞いた当初はちょっと反発の心もあると思うのであれなんですけど、じわじわ、じわじわ、その後からやっぱり効いてきますよね。

C そうそう数受けているうちにね。

A 改めて楽曲やその他の詩を読んでみると違った視点がまた見えてくるんじゃないかな、ちょっと読み返してみようかなと思ってます。

E 素朴な疑問で、これはこのために撮り下ろしっていうか、元は詩はなかったんですよね。
このために作ったんですよね?

C 映画を補完する為に降ろされた。

E 書籍になってないですよね。21年の9月3日に先生がお創りになられたってことでいいんですね。だから最近の先生のいろんな気持ちも入っているのかなと思って。

C その話でちょっと言っちゃうと、これ娘に対してかな?と。大川家の子供たちに対して伝えたいメッセージが隠されているなって。

A 全然違いますもんね。感覚が。本当の娘っていうか、 主の愛を自覚しきってるのでセムローゼは。だから少女から大人になる過程が歌になってるんですよね。だからお守りしたいっていう視点が入って、与える側になりきってるんですよ。
でも、その少女のまま、幼子のままで止まってたら「愛して愛して」しかないんで、「もっと愛して私を見て、私が大事でしょ」ってなってへばりついちゃう。

C 「そんなことに慣れすぎた私だけど、いつも可愛がってくれる」ここがね大川家の子供に関してのメッセージ入ってる。「だけど大人の女性に変わっていくのよ、だってあなたを守りたい」から。ここがすごい重なっちゃって。

A そうそうそう、そこが素晴らしいんですよね。

C 長女さん「ねえパパって私の声が聞こえますか」歌ってたじゃない、それの後じゃないこれ。
だから感じるものあるなと思って。

A これを対比して、あなたたちはどう感じるかっていう公案を与えられてるような視点。

C そうそうそう、理想の子供像っていうかね.

A やっぱ全然違いますよね。その娘の感覚と、ある意味ヤショーダラ的な「 愛してほしい愛してほしい、私を見てほしい」感覚の娘はほんと真逆なんだなって。
だから、その「本当の娘のあり方とか、本当の母のあり方」をこの原曲で感じさせていただいたし、ある意味その女神の見本じゃなんじゃないかなって思ってます。

C 多分この辺りから生霊があったと思うんだよね。 パングルが出てきちゃったから。

A うんうん、あぶりだしが。

C 歌もね「エローヒムが愛したのはパングルだったのか」っていうあれが入ってるから
多分出てきちゃったと思う。

B 21年でしょう。21年は秘密の法の年なんですよ。それでばっちりあぶり出しの年なんです。
表裏のあぶり出しの始まりの年って私は思ってたんだけど。あの時の研修って妖怪性を見るような 研修やってたじゃない。自分の中の裏側性みたいな。
「美しき誘惑」の映画はその4月か5月だったよね。だから年初から秘密の法の年で、9月ぐらいに「芸能のプロへの道」とかあの頃から「格俳句」を書き始めてるの。年末の12月に「パングルへの変身」すんごい大事な年だから。
そして秘密の法を取りこぼしてるから補習授業として「パングルの変身」にね「だいたいの信者がパラサイトぶら下がってる」とその対談の中で総裁先生の口から。
パラサイトの逆がインディペンデントって。「自立した信者になれ」って言ってんだけども。
だから今はパラサイトだよっていうふうに「本年度の重要論点」と総裁先生は仰っていました。
でもこんな話、今聞いたっていう感じしょ?

A はいはいはい。もう初めて聞きました。もうスルーですね。うん。

B たった1回しか出てこないから。でも本年度の重要論点って言ってるから。重要って思ってなかった俺みたいな感じで。

A インディペンデントの部分が入ってないのが妖怪性っていうかオタフクそものそのものですよね。

C この曲に現れてますね。大人になる過程のね。

A 正しい娘のあり方、見本を見せちゃってるから、私めっちゃ反応するんじゃないかなって。もう嫌でしょうね。

B あの年はパングルに変身せざるを得なかった背景っていうのが、全部あの年に入ってると思う。
だからインディペンデントじゃない弟子、弟子同士の争いとか過去世から繰り返しじゃちょっとかっこ悪いよね。

Aなんかもっと美しい方法、芸術的な美、なんか芸術的方法で解決させるって。ヤイドロンさんが仰っていた。究極は目指したいです。

C 合唱で。

A 合唱、感動しませんでしたか?

C 涙が凄い出てきちゃった。

A そこまでくるとは思わなくて。でもいろんな人たちと同じ楽曲を一緒に歌うっていうのはすごい一体感。やっぱり法友なんだっていう思いがすごい来た。仲間がいるって。

C そうそうそうだよね。合唱でそこ昇華して自他一体をしたいですね

A だから、もっとみんなとそうそうそう、1人じゃなかったんだって改めて思えるようになる。

B そこを乗り越えないと、こっちがいい、このやり方がいいっていう風に調和しないんですよ。じゃ、なんで原曲と波長合わないのかっていうと、 今まで左脳でばっかりやっていたからある程度1つの山を作ってるわけでしょ。その山を降りて、また下からみんなと一緒にっていうのがね。

A わかんない。自分も認めたくない。

B そうそうそうそう。
だって弟子って言ったらさ、エル・カンターレからしたら本当にカケラでしょ。

C 花束ってその1人1人の数の分だけ、その人に合った花を持って待ってくれてるってことは、全員にこの花束あげたいってことだから、こっちからしたら敵にに見えたとしても、主はその人も愛してるし、みんなの分用意してるよっていう感じました。

B その違和感を何とか前向きに向き合っていきたいですね。

C プライドを刺激するってどういう感覚なんでしょうか?

B だから隠したいものを暴くような。

C そうすると前提は「それでも愛されてんだよ」っていうのを体感するのがこの原曲かなって気がするんですけど。

B でも原曲に近づかない。

C 主の愛を抵抗しないでそのまま受けたらね。

A いや、原曲ほど愛を感じる研修ってないよね。

C その人にあった草笛の音を探して「あなたこの歌好き?」って聞いて。
好きなのは1つはあるんじゃないかな。

B だからほら英語で話して何言ってるかわかんないっていうのに似ている。

C受けてるとみんな変わってきて、わかるようになってきている。

B 受ければね。

C その最初の一歩は大変だけど、人類にとっては大きな一歩であったという宇宙飛行士の未知への体験の言葉から勇気を頂き。最初の一歩を飛びこんで体感する方が増えるといいですね。
そして皆で楽曲の大合唱をしたら主がどれほど喜ばれるか!その主の喜ぶ顔を夢見たいと思います。



以上です。

法談はいろんな話しが出るので、あくまでも個人の意見であり、感想です。
こちらで適宜編集させていただいています。
 なお、転送は自由です。