松下幸之助を支えたのは二人三脚の女房だった | 医薬翻訳のアスカコーポレーション 社長ブログ

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大阪北浜、東京田町にオフィスを持つ医薬・バイオ分野の語学サービス会社 アスカコーポレーション社長 石岡映子のブログ。

「パナソニック」と聞けば世界を代表する電器メーカー、そして誰もが知っている。
この、誰でも知っている、というのがすごい。
創業者「松下幸之助」は、「日本中を松下の製品で埋め尽くしたい」と何度もNHKTVドラマ「神様の女房」で言っている。


私がサラリーマン時代(20年前以上のことだが)「松下」担当だった頃がある。門真や枚方、大阪市内の研究所や事業所に足しげく通った。
誰もが(地味ながら)誠実ですばらしい人たちだった。その当時若い女性が営業するのは珍しかったはずだが、守衛さんですら暖かく、優しかった。だからくら一生懸命役に立とうと、難しい仕事にも全力で臨んだ。担当者はほとんど技術者だから、一生懸命私に説明してもらっても私はついていけない(汗)。でも小さな成果でも喜んでいただき、ありがとう、助かった、と必ず応えてくださった(お金にはかなりきつかったが)。


自分で会社をするようになって松下幸之助関係の本はいくつか読んでいる。
でも今回のNHKのドラマを視て、なぜあの社員たちはあれほど私を引き付けたのか少しなぞが解けた。会社の原点が「社員、家族、顧客を大切にする」精神だったからだろう。


奥さん「むねの」の名言に
1.こんなものは苦労やない。苦労、いうのは、心の持ちよう。物がない、お金がないというのは、苦労やなくて、難儀や。常に希望があったら、苦労になんかならへん。どれだけ働いても、難儀するのは、まだ自分の働きが足りないからや。働きさえすれば、なんとかなる


2.経営が厳しいのはようわかります。景気がいいときもあれば、悪いときもある。だからこそ、住み込みで一緒に毎日を過ごしてきた店員を切ることなど、絶対にしてはなりません。そんなことをして、切られた店員や社会はどう思いますか。どの会社もしているから、というのも言い訳にはなりません。それよりも、このご時世に人と違うことをすることが肝心やと私は思うとります。

(昭和2年の恐慌で経営が厳しくなり幹部の多くがまわりの会社がそうするのと同じように、社員を減らすことで不況を乗り切ることを提言。むねのの進言で「一人たりとも、社員を解雇したらあかん。給与かて、全額支給や」との方針を示した。)


最も条件の悪い相手だから結婚を決意した、とも。もともと起業精神があり、実家が網元で資産豊かな家だったことは大きい。


幸之助の仕事に関する名言で
1.人間の一番の義務。それは幸せを見つけることである
2.今日考えたことは、その日のうちに実行する
3.どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである
4.職場は給料をもらうだけのところではない。一人の人間として仕事を通じ、自分の個性、持ち味を十分に発揮し、人間的に成長できるようにしていくことだ
4.仕事に打ちこんでこそ味わえる境地がある。
5.どんな仕事でも徹するならば、その仕事を中心として無限といってもいいほどに広がっていく
6.礼儀作法は人間関係をなめらかにする、社会生活の潤滑油である。
7.自分に権限がないからは、弱者の泣き言。


などなど、限りはない。
耳が痛いことばかりが書かれている。
松下幸之助を「神様」と表現した意味がわかる。


経済・社会の変化で社員とのかかわりが希薄になりつつある。
それでもASCAの経営戦略を考えるたび、
従業員と顧客、関係者・翻訳者を大切にする、ここだけはやっぱり譲れない。


TVを視ながらほっとしたことがある。
あの幸之助ですら、経営には悩んでいた。
ソケットを開発して売る、という目標では目が輝いたが、2万人の従業員と家族を養うという重みにつぶされそうなシーンは印象的だった。