ついに今朝のNHKのニュース番組でも特集されてしまいましたね。
パーソナルトレーニングジムでの事故が急増していると。
この1〜2年、特に男性はパーソナルジムや無人ジム、女性はマシンピラティスで身体を痛めて来院するケースが本当に増えた。以前から何度か書いていたが、やはりウチだけの気のせいではなかったようだ。
もちろん知識や技術の向上は大切。
だが、果たして「そこ」なのか?
小生らが若い頃、まだ“トレーナー”という言葉が今ほど一般的ではなかった時代、「治せない者は鍛えられない」という空気が確かにあった。
だから現場の人間ほど、治療や解剖、生理学の世界へ進んでいった。
最近も古い付き合いの某大学教授であり学部長がこんな事を言っていた。
「学力の高い学生を指導できない教師は、学力の低い学生も指導できない。逆もまた然り。」
実に本質的な話である。
フォームが正しければ痛めないのか?
では一流プロ選手は全員ケガをしないのか?
逆にフォームがギクシャクしている素人は全員壊れるのか?
そんな訳がない。
痛める原因は、もっと別の所にある。
だが誤解して欲しくないのは、若い指導者たちが悪いと言いたい訳ではない。
むしろ問題なのは、その彼らを導いてきた“先駆者側”である。
つまり、小生に近い世代だ。
会社でも政治でもスポーツでも同じ。
現場の混乱や迷走は、結局「上」が何を評価し、何を教え、何を流行らせたかの結果である。
見た目だけ派手なトレーニング。
SNS映えするメニュー。
「効いてる感」ばかり追う根性論。
とにかく追い込め、汗をかけ、限界突破だ。
だからと言って軽いからいい訳でもない。
そんなものを長年持ち上げてきた結果、現場は「何のために鍛えるのか」を見失った。
フォームや技術を教えるのはコーチ。
だが、“どこへ向かうのか”を示すのは監督の仕事である。
健康の為なのか。
競技力向上なのか。
見た目づくりなのか。
一生動ける身体づくりなのか。
目的が曖昧なまま負荷だけ増やせば、そりゃ壊れる。
痛めた患者を診ていると、「頑張り過ぎましたね」では済まぬケースも少なくない。
本人は真面目で、言われた通り必死にやっているだけなのだから。
だからこそ今、必要なのは最新マシンでも資格ビジネスでもない。
“導く人間”の哲学なのだと思う。
道を教えるのではなく、道を間違えさせない。
そんな指導者が増えて欲しいものである。
