この数年、SNSの普及、そしてChatGPTの登場によって、誰もが簡単に、しかも膨大な量の情報を手に入れられる時代になった。
小生が学生だった四十年前ですら、
「都心のど真ん中で何もせず一日ぼーっと立っているだけでも、勝手に一方通行で入ってくる情報量は、100年前のおよそ2000倍だ」
と聞いた記憶がある。
現在は、もはやその比ではないだろう。
情報を得ること自体が悪いわけではない。
しかし、情報を多く得れば得るほど、それらを精査するための知識が同時に求められる。
ここに「情報」と「知識」の決定的な違いがある。
近年問題なのは、
多くの情報を得たことで、知識が身についたと勘違いする人があまりにも増えたことだ。
スポーツの世界を見てもそうである。
ネットやSNSを通じて様々な情報を得た指導者が、さも研究者のように語る場面をよく目にする。
また、スポーツ愛好家である、いわゆる“素人”が、ネットで得た断片的な情報に自分の主観や好みを上乗せし、専門家のように語ることも珍しくない。
小生自身、現在は「治す」ことを生業としている以上、
語るべきは治癒、改善、回復に主眼を置いた話でなければならない。
人をたくさん呼ぶこと、物を売りつけること、ましてや一円でも多くお金を落とさせるための会話など論外である。
メーカーに在籍していた頃、シューズ一足を例に取っても、
「メーカーが販売店に説明する内容」と
「販売店がお客さんに説明する内容」は、根本的に違うものだと叩き込まれた。
カタログに載っていることを、さも自分の知識であるかのように語るな、と。
昨今、素人でも簡単に手に入るような情報では、賢い消費者にはすぐ見透かされてしまう。
だからこそ今、商品やサービスを提供する側の人間こそが、
真の消費者目線とは何かを、あらためて考え直さなければならない時代に入ってきているのだと思う。
