気がつけば、もう4月も半ばを過ぎたんですね。

 寒くもなく、暑くもなく、ポカポカと暖かいこの春という季節が、僕は大好きです。

 

 相変わらず仕事に追われて、一日中休むことなくバタバタしています。

 それでも、この慌ただしくも自由に過ごせる生活の中で、今、本当に自分らしく生きられているのを感じます。

 

 僕のこれまでの人生において、こんなに充実感を感じる時間を過ごせたことは、今まで一度もなかったかも知れません。

 

 本当、感謝しかないですね。

 

 ずっと目が痛くなる限界まで、書籍やパソコンをにらめっこしながら、講座のテキストの作成の仕事をして、ふと、かたわらにある胡蝶蘭に目をやると……

  またしても、胡蝶蘭ネタかよ(笑)

 

 

 

 ずっと、左側だけがつぼみのままだった胡蝶蘭が、見事に開花していました。

 花が完全に開いたのに気がついたのは、実は一昨日なのですが……

 

 つぼみの状態の長い時間の間に、僕らにはわからない何らかの準備が行われていたのでしょうね。

 

 生命の神秘のようなものを、感じずにはいられません。

 

 植物だけではなく、我々人間を始めとする動物だって、日々成長して年を取っていくし、時に病気になったりケガをしたりすることもありますが、ある程度時間が経てば、健康が回復したり傷が癒えたりします。

 

 僕らを包んでいる宇宙のエネルギーが、そういったことをしてくれるのだと思います。

 

 とはいえ、植物だって動物だって寿命というものはあるし、あまりにも病気が重かったり、傷がひどかったりした時は、元のように回復できない時だってあるでしょう。

 

 そんな時、植物や動物の物質の部分は枯れたり崩壊しますが、その本質のエネルギーの方は、いったん宇宙の懐(ふところ)の中に戻ります。

 

 身体を有していて、五感で感じられることだけが全てだと思い込んでしまっている人間にとっては、あたかもその存在がなくなってしまったようにしか思えないし、とても悲しく感じてしまうのですけど、実際にはそうではなくて、そのエネルギーは宇宙の懐の中で生き続けています。

 

 決して、その存在が消滅してしまうようなことはないはずです。

 

 僕も昔は、この世的なものに囚われ過ぎて生きてきたので、こういったことが全くわからなかったのですけど、今では感覚でわかるようになったし、確信をもってそれは間違いないと断言できます。

 

 植物だって動物だって、うんと長期的に考えれば、物質的な身体というのは使い捨ての着ぐるみのようなものだと思うし、その本質というのは、魂とか心といったエネルギーの方だと思うんですよ。

 

 そして、宇宙のエネルギーは、物質的な身体を癒してくれるだけではなくて、我々の傷ついた心も癒してくれているように思います。

 

 人生を生きていると、身体がケガをしたり病気になったりするように、心も、傷ついたり、屈折して元のように戻らなくなったりすることだってあります。

 

 自分では望んでいないのに、沸々と悩みがわいてきて、仕事も何も手につかなくなってしまったり、考えたくもないのに、恨みの気持ちが沸々とわいてきて抑えられなくなってしまったりというのは、そういうことだと思うんですね。

 

 こんな時、そんなことを考えてはいけない…… とか思って、必死になってあがいてみても、ふと気がつくと、いつしか元のネガティブな思考の中にハマってしまっていたりします。

 

 僕も一年半の間、そんな悪あがきをずっとやっていたのですが、まるでイタチごっこでしたね。

 

 ああ、今の自分の心の中には、すっかり膿(うみ)が溜まってしまっているんだな…… と、あの時はそう感じずにはいられませんでした。

 

 でも、これは僕だけではなくて、おそらくこの地上に生きている人のほとんどが、そうやって葛藤しながら生きていると思うんですよ。

 

 6つの胡蝶蘭の鉢の中に、茎が伸びてつぼみがつくのかな…… と思いきや、なぜか急に成長が止まってしまって、ずっとそのままだった鉢があったんです。

(2024/4/1ブログ「成長する胡蝶蘭」参照)

 

 何が原因かはわかりませんが、ピタッと成長が止まったまま、つぼみさえつけないので、枯れてしまったのではないかと疑ってみたり、見ていて、じれったくなったりしました。

 

 でも、よく見てみると、根元から小さな新しい葉っぱができているですよ。

 

 

 

 この胡蝶蘭は、自分が花を咲かせる前に、まずは葉っぱをつけて、しっかり光合成ができるようにすることを優先したのですね。

 

 自分の友人とか、ましてや家族なんかに、ふさぎこんでしまってまるで成長が止まったように見える人がいると、つい気を揉んでしまうものですが、周囲にいる人間には、何もしてあげることができないといったことは、よくあることです。

 

 でも、その人は全く成長していない訳ではなくて、単にスローペースなだけで、見えない所で少しずつ成長しているのかも知れません。

 

 僕も一年半の間、周りにいてくれた人にたくさん心配を掛けてきたので、とてもよく分かるのですが……

 

 もちろん、これはケースバイケースで、周囲にいる人間が何かをしてあげなければいけないケースだってあるかも知れないのですが、一通りのことを全てやりつくしているのなら、あとは信じて見守ってあげることも大切です。

 

 これは、自分自身の心に関しても、同様だと思います。

 

 無理のない範囲で、やれそうなことを全てやりつくしたのなら、あとは自分の心を癒してくれる宇宙のエネルギーを信じて、見守ってみる……

 

 この「信じてみる」ということが、とても大切な気がするんです。

 

 もちろん、これは特定の宗教の教えを信じ込むようなこととは全く関係なくて、ただ自分を包んでくれている(より正確には、自分と一体化している)この宇宙を信じるというだけです。

 

 僕らは、宇宙のエネルギーの中で生かされている……

 

 僕らが何度も生まれ変わった、はるかな未来の話かも知れませんが、いつしか、この宇宙の全ての存在が、幸せに満ちあふれた完璧な状態になるその日が、必ず来るように思います。