第65回社会教育研究全国集会(東京・白梅学園集会 2026年8月1日・2日)に参加しました。

私が参加した第一課題別学習会 自治体改革と社会教育 の内容(1つ目)をご報告します。 

私の感想は最後にあります。

 

 社会教育を揺るがす制度改悪の現在とその力学

 

姉崎洋一先生の講義をまとめました。

 

気候崩壊、共喰い資本主義、デジタルファシズム、テクノ資本主義、マスキズム等資本主義の行き詰まりを背景に様々な矛盾、行き詰まりが見えてきている。

高度経済成長期の全国に広がった開発が行き詰まっている。大都市と重化学大企業優遇が進み、農業と農村地帯が衰退、公害が深刻化し、中小企業振興の無策、低成長を経て貧富差が拡大。実体経済よりも金融資本本位、さらにテクノ資本主義へと変貌がある。

※引用文献に、私が敬愛する「過疎ビジネス」横山勲さんのお名前が。

日本では、国の政策として、地域づくり計画が共通関心事とされているものの、そこには主体性を持つ主権者としての「住民」の姿はあるか。国に対して受け身になっていないか。

 

世界では、水道再公営化(バルセロナ)、DSA=マムダニNY市長の誕生、人間らしく暮らしていける(アフォータブル)という視点、公共(コモンズ)を取り戻す世界的な動きと広がりがある。

日本でも、政策の「道具」としての住民ではなく、学習し、行動し、参画し、主人公としての住民がいる(杉並区、清瀬市、背景は異なるが西東京市、国立市、国分寺市、小平市、東村山市、茅ケ崎市にも自立的な市民が立ち上がっている。)

 

平和のうちに生存する権利(憲法前文)、戦争放棄(9条)は戦後の「社会教育の自由」の根幹部分を支えるものである。

戦前の反省とともに、戦後の平和を保持する国民の文化力への期待(194,1月「世界」 湯川秀樹)。それは、社会教育の主権者としての市民の渇望であったはずである。枚方テーゼ(1963、市民が主体である社会教育、大衆運動の教育的側面)を死文化させてはならない。

市民の胎動は始まっている。

 

 

 私の思い

姉崎先生の「地域づくり」は国のためではないという強い信念を守る強い意志を感じる講演でした。

少し主題とずれますが、最近、日本共産党の内外で学んでいる資本主義の学習(※通称赤本、青本学習とか言われてます「人間の自由」と社会主義・共産主義 『資本論』を導きに)と通じる講義内容で興味深かったです。

自立的な市民として東村山市の市民も紹介していただきました。

広がりは小さくても、立ち上がる人がいる。それがスタートです。

始まっている市民運動の鼓動をどうしていくか、私たち一人一人にかかっています。

「主権者は」「私たち!」というデモのコール&レスポンスが遠くから聞こえてくるような講義でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。