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「フランス留学時代の辻邦生」

 

加賀乙彦

 

 

 

一九五七年九月上旬、私は横浜の大桟橋からメッサジュリ・マリティム社の快速船「カンボジュ号」に乗ってヨーロッパに向けて旅立った。身分はフランス政府給費留学生。マルセイユまで四十日の旅路とあれば、あこがれのフランスは遥かなる遠い国だった。

 

 翌日神戸に寄ったあと船は大海にのりだした。同行のフランス政府給費留学生には仏文学者や医師など、その後私が友人として親しくつきあう人々が数人いた。

 

 まず香港に向かう。台風が迫ってきて嵐の海は巨大な波の山になって船に襲いかかった。さしもの快速船も自然の猛威に前後左右に揺れ動いた。私は船酔いをしなかったが友人たちは例外なく強烈な吐き気をもよおし寝こんでしまった。夕食時、二等船客用の食堂に行ってみると、出席者は私ひとりだけだった。葡萄酒を飲み、寂しい夕食を食べて船室に戻った。小さな丸窓からは黒い鯨が踊るような波また波の景色が見えた。ふと、沸騰する嵐の海を広々とした視点で見渡したいという欲望がおこった。レインコートを着込み、甲板に出た。晴れた日の昼間は日向ぼっこをするベンチが並んでいる。しかし雨の降り込む今夜は人気がなく、雨と風に洗われていた。

 

 文字通り、船は波に翻弄されていた。私は自然の巨大な力を怖れながらも快速船という文明の利器に安心する気持ちで、ベンチに座った。と、暗いベンチの暗い端に誰か先客が座っていた。その人は近づいてきて自己紹介した。辻邦生という、私と同期の給費留学生の辻佐保子の夫だと言い、横浜から船出するとき、見送りに来ていた女房から私の名前を教えてもらった、小木さんでしょうと私の苗字を言った。僕も壮絶な嵐を楽しむ気持ちですというように微笑を見せた。

 

 二人は海を眺めた。問わず語りに彼が言った。

 

「ぼくはねえ。アントロポンなんです」

 

「はあ?」

 

「三等船客なんです。船室が海面より低いところにあり、船室は個室ではなく、大部屋に雑魚寝、二等客の食べ残しをたべているんです。同宿の船客には黒人のフランス兵が大勢います。ここは二等客の散歩用の甲板ですから、僕は不法侵入者なんです」冗談とも真面目ともとれる調子であった。

 

「佐保子さんは後から来られるのですか」

 

「女房は飛行機で来るのです。今から四十日目の便であっというまにパリにくるんです」

 

「ああ、それはすばらしい」

 

「でしょう? どうも女房のほうが僕より脳の発達がいい。彼女のほうは給費留学生の試験に一発で通り、僕のほうは落ちてアントロポンです」辻邦生は別に気落ちしているふうでもなく、目をくりくりさせて笑った。むしろ女房の才能を自慢している風の笑顔である。

 

 このくりくり目玉を私が記憶しているのは、辻邦生の小説には夫よりも頭の回転が速く、運動神経の優れた細君が登場するからである。『夏の砦』や『背教者ユリアヌス』がそうだ。

 

 この嵐の夜以後、辻邦生と私は頻繁に出会うことになった。彼が二等船客用の甲板を嫌うので、私たちは船首のほうの錨やら救命用ボートの傍らにある甲板に行き、ときには波を振り分ける船首の付近に寝転んで語り合った。話題は色々あったが、おたがいに相手の話題に素直に応じられ、自然で興味深く尽きることはなかった。

 

 初めのうち、辻が私より年上で先輩のように思えて丁寧な口調で話しかけていたが、彼は東京大学に同じ年に入学した同級生なんだからと言い、私も応じて、次第にざっくばらんな口調になって行った。

 

 話すにつれて、おたがいに相手の知らない世界を知っていると気が付いた。辻の世界はもちろんフランス文学であったが、次第に哲学の話題になり、カント、ヘーゲル、ハイデガーとなると私の知らないドイツ語がぽんぽん出てきた。私の世界で、彼が興味を持ったのは死刑囚の日常生活とその心理であった。私は拘置所の医師をしており、さらに犯罪心理学を専門としていたので、その領域になればいくらでも話すことがあった。

 

 香港、マニラ、サイゴン。特にサイゴンはフランス領で四日間の停泊であった。船上でも停泊地でも、給費留学生たちは一緒に歩いて観光するのに、辻はまったく独り歩きをしていて、グループに近づくことはなかった。留学生たちは一様にカメラを使って景色を撮り歩くのだが、辻は首にぶらさげた小さな手帳に、何やら書き込むのだった。なんと、そのころの日本では国産カメラが流行していて、旅行にカメラをたずさえるのが決まりのようになっていたので、日本人離れした彼の趣味が私にはめざましかった。

 

 彼といろいろな主題について話をしたが、こと文学については私が口火を切るような会話がまったくなかった。そう、一度、私がバルザックの「ゴリオ爺さん」の性格描写について意見を言いだしたとき、彼はいやな顔をし、黙りこんだのだ。しばらくして「ごめんね、君の話す文学論は好きじゃないんだ」と言った。相手の複雑な表情を解読すると「文学は僕の大切な聖域なのだから、君のようなシロウトの幼稚な文学論は聞きたくないのだ」となる。こちらは文学論を云々したかったのではなく、精神医学的性格論をしたかっただけなのにとは思ったが、私は辛抱強いほうで「そうだな、ごめん」と友好的に折れた。

 

 思いだした。右の会話をしたのは、セイロン島のコロンボで、どうしたことか、給費留学生たちと別れて、私は辻と二人で町を見物したのだった。寂しい、貧しい町や拝火教徒の墓地を、二人は黙って歩きまわった。ときどき彼は立ち止まり、手帳に長い文章を書きつけ、私は彼が注意深く見つめる方角を写真にとるのだった。

 

 それ以来私は辻邦生と長い年月親しい友人となるのだが、長い時間のなかで、彼の文学論を承ることはあっても、彼と文学論を交えるようなことは一切なかった。その代り、彼は世界文学、とくにトーマス・マンやマルセル・プルーストについては夢中で論じる、いや私に微細な解説をしてくれた。そして、フランス文学者なる人種に初めて会った私の好奇心を満足させてくれたのだ。こと文学については、彼は先生の立場を、これが大事なことだが、ごく自然にとっていた。

 

 プルーストの長大な小説の構造、登場人物、文体の妙について、彼は完璧な知識と熱情を抱いていたと私は思う。そして、ずっと先の時代に彼の熱情が私を文学へ誘う原動力になったと、いま、私は告白する。

 

 

 

 四十日目にカンボジュ号はマルセイユについた。各自好きな方法でパリに行く。私は電車でパリに行き、十四区の大学都市の日本館に落ち着いた。ところで辻邦生は、「はるばるフランスに留学に来て、日本館に泊まるのはばかげている。ぼくは女房とアパートに住むよ」と私に別れを告げた。

 

 パリの十月半ばは寒い。日本と違って黄金色の秋景色が公園で見られた。日本館の館長は東大教授の先生で、館長という雑務を喜んでする人だった。パリに着いて一週間ぐらい経ったとき、館長先生が私の部屋の扉をたたいた。

 

 「給費留学生の辻佐保子さんと旦那さんの邦生さんが急に発熱して困っています。あなたは医師ですね。ちょっと往診していただけませんか」

 

 「もちろん往診してあげたいのですけど、私は精神科でして、給費の人に内科医も外科医もいますが……」

 

 「佐保子さんは小木先生がいいと、名指しで頼んできたのですが」

 

 それならと私は引き受けた。東京で給費留学生になった医者四人が会合し、できるだけ薬をたくさん持っていき、在パリ日本人の助けをしようと示し合わせていたのだ。私は、診察用具一式、風邪薬、注射器などを黒カバンに詰めたものの、未整理の荷物の山から外套を探し出せず、セーター二枚をモコモコ着込んで出掛けた。モンパルナスの消防士町に着いたときは夕方であった。

 

 辻夫妻の部屋は六階、つまりどん詰まりの屋上部屋であった。エレベーターはない。各階に便所がある。ノックすると鍵はかかってないと辻邦生の声が答えた。

 

 床に、つまり地べたに蒲団を敷いて二人は臥せっていた。二人とも体温は四〇度、呼吸音に泡沫音がする。これは肺炎の初期だとすぐ診断された。

 

 「肺の呼吸音がブツブツと乱れている。軽い肺炎だ。今からペニシリンを筋肉注射する。二人ともうつ伏せになって、お尻を丸出しにしなさい」拒絶されたら彼らの熱病を治せないと思い、私の声はうわずった命令調だった。二人は、まったく従順に従ってくれた。

 

 外に出ると消防士町は街灯が少なく真っ暗だった。あとで知ったのだが、このあたりモンパルナスの墓地の隣であったのだ。暗く寒い住居で、貧乏暮らしながら熱意のこもった留学生活をはじめようとしている辻夫妻の姿に私は感心した。

 

 翌朝、館長先生が私の部屋の扉をたたいた。

 

 「辻佐保子さんから電話がありましてね、熱は下がって、二人とも元気になったと伝えてくれとありました」

 

 「それはよかった。でもまだ二、三日は寝てなくちゃいけません。無理すると再発しますからね」

 

 「二日前から寝込んで、食べ物がなにも無くなったので、空腹に耐えられないで。二人とも走ってカフェに行ったそうです。で、腹いっぱい食べたら、元気が出て、今日は国立図書館で調べものをするんだそうです」

 

 「まあ……」私は絶句した。二人は飢えていたのだ。だと知れば、きのう、夜道を走って食べものを買いに行ってやればよかったのに。

 
 



      掲載された「辻邦生 - パリの隠者」展  開催記念冊子






仏語訳: ‛‛ Tsuji Kunio au temps d’étudiant étranger en France  ’’  

 


 


 

   

メッサジュリ・マリティム 

Messgerie Maritime 

 

カンボジュ号 

Cambodge 

 

フランス政府給費留学生 

boursier de Gouvernement Français 

 

アントロポン 

entre-pont 

 

モンパルナスの消防士町 

rue de pompier


 


 
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