朝倉ふゆな オフィシャルブログ「Future voice」Powered by Ameba

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テーマ:
平成30年7月豪雨
 
前置きとして。私は今回初めて災害の当事者側となりました。そこで感じたこと、学んだことを残しておきたい、そしてそれを皆さんに発信することで何かしらのプラスになると思ったので今この文章を打っています。感情的にならないようにあるがままを書いているので文章はまとまっていないかもしれません。ごめんなさい。
 
平成30年7月7日午前6時、祖父が広島にて発生した土砂災害によって亡くなりました。
 
 
 
私が前日の夜23時半に用事を終えて携帯を見たところ、LINE NEWSにて東広島で10人生き埋めの記事を目にしました。心配した私はすぐ祖父に電話をして大丈夫なのかを尋ねました。祖父は少し心細そうな声で、こっちは大丈夫。家の2階で机の下にいる。と言っていました。私は避難をした方が絶対いいと言ったのですが、80をとっくに越えている祖父は、今からは1人だと怖くて避難出来ないと言っていました。外は土砂降りの雨で、確かに夜中に1人で離れた避難所まで行くのも危険だと思いました。祖父の家の裏の家に住んでいる親戚家族も祖父が避難に誘った時に避難しないと言っていたそうです。
 
もしあの時私に、親戚家族の電話番号を調べ祖父と一緒に避難するように呼びかける考えがあったなら、結果は変わっていたのかもしれません。
 
とりあえず電話を切って、家にいる時にできる対策を調べてまた電話をしました。
祖父が何度も、心配をかけてごめんと言っていたのを思い出します。
いいよいいよ全然気にしないでと言いながら、30分ほど電話でおしゃべりをしたり朝になったら避難しようねなどと話しました。
祖父も自分で考えながら2階で対策を取っていて、例えば隠れる机の山側にコタツの上の板や座椅子を立てかけてバリケードみたいにしたり、スポドリや食料を自分の近くに持ってきたり、万が一土砂崩れが起きて家に少し土が入ってきたりした時にもなんとかなるように準備をしていました。私ももしもの時を考えて救助を待っている時に寒くないように、そして少しでも緩衝材になるかと思い、お布団も持ってきたら?などと提案したものです。
 
祖父に最後に安否確認をしたのは7日の2時2分。夜更かしはダメだよ、寝なさいと言われたので、寝られないかもしれないけど、おやすみねーと言って電話を切りました。朝も電話してきていいからねと言いました。
 
そして7日の明け方、土砂崩れは起こってしまいました。
 
私が7時半くらいに電話したときには祖父の携帯にはもう繋がりませんでした。
一気に怖くなっていたところ、父に土砂崩れの一報が入ってきました。
祖父の家の裏の家に住んでいる祖父のいとこが、全部流された。何も残っていない。と気が動転した状態で親戚に電話をしたそうでした。
 
それからのことはあまりよく覚えていません。ただひたすら無事を祈るばかりでした。ずっと祖父のことを考えていました。ニュースがやっているテレビの前にずっといました。そして、前日の夜になにがなんでも避難させておくべきだったという後悔がずっと頭の中にありました。口を開くと胸が詰まるようなため息しか出ませんでした。
 
地元の消防に電話をして、祖父が家のどこにどんな状態で居たのかを伝えました。少しで捜索の手がかりになれば良いと思って。
 
ニュースで他の場所でも甚大な被害が出ていて救助が難航していることを知りました。そして各地の土砂崩れ現場で生き埋めになっていた方が助かったり、遺体で発見されたりというニュースも見ました。
 
父の友人が送ってくれた現地の写真を見て、心臓が止まりそうになりました。本当に全部無かったんです。家の形は残っていて家のがれきが散乱していると思っていた私は息を飲みました。よく行ったおじいちゃんの家が、まるでオモチャみたいに踏んづけられてしまったようでした。
 
翌日の8日、祖父は見つからないまま父が広島に飛びました。その日も祖父は見つかりませんでした。親戚の方が性別不明の遺体で発見されたと連絡がありました。
 
翌日の9日、13時半。祖父が見つかったと父から連絡がありました。対面しました。と。
覚悟はしていましたが、実感はありませんでした。
 
そこからお葬式のために広島に行ってきて、今に至ります。
いつもお迎えお見送りをしてくれた広島空港。いつも車で寄っていたスーパー。祖父との思い出が鮮明に蘇りました。
祖父はほぼ即死だったそうで、遺体も損傷は激しくなかったそうです。
おじいちゃん、救ってあげられなくて、何も出来なくてごめんなさい。
火葬の前に祖父の体に触れることが出来ました。ちゃんとお別れをして来ました。
お葬式は犠牲となった親族3人の合同葬儀でしたが、本当に沢山の方が参列してくれました。それだけ祖父が慕われていたんだと実感しました。
祖父は教師として生きた人でした。退職前には小学校の校長を務め、退職後も地元の郷土史の編纂に携わったり、写真、書道も趣味の域を越えているとても尊敬できる凄い人でした。本当に自慢の祖父です。お茶目で笑顔が優しくて、大好きでした。長生きしそうな人でした。
だからこそ、"たられば"が頭をよぎります。
救えた命だったかもしれない。
私がもし、、、と考えてしまいます。
 
 
今回、救助活動をしてくださった、地元の消防の皆様、自衛隊の皆様、大阪府消防局の皆様。祖父を見つけてくださって本当にありがとうございました。心から感謝しています。ありがとうございます。
 
祖父は生前、私の活動も沢山応援してくれていました。だから、祖父に胸を張って頑張っているよと言えるように、頑張りたいと思います。
おじいちゃん、本当にありがとうございました。そしておつかれさま。天国で見守っていてください。
 
 
ここからは現地の写真を載せていきます。
 
 

1枚目が災害前、2枚目が災害後です。1枚目の真ん中の赤い屋根の家が祖父の家です。あまりにも形が残っていなくて、現地に行っても土砂崩れの瞬間があまり想像出来なかったのが率直なところです。
 
道路はこのように通行止めになっています。
 

別の角度からです。奥の山が崩れているのが分かります。
 
スーパーは品薄でした。
 

別の場所では道路陥没も。ここから先は軽自動車しか行けません。
 
 
また別の土砂崩れ現場です。
 
 
避難所にも行きました。この日は途中でため池決壊の恐れがあるとして避難指示が出されました。

被災地はこんな感じです。
私が行ったのはごく一部の地域ですが、少しでも伝えられていれば幸いです。
 
今回、私も祖父も父も親戚も少なからず油断があったと思います。まさか150年も大丈夫だった裏の山が崩れるとは。私も頭では避難すべきと分かっていましたが、行動に移すことが出来ませんでした。これを教訓として、今後災害時に的確な対応が出来るようにしたいと思います。油断は禁物です。皆さんも身の危険を少しでも感じたら、すぐに安全な場所に避難してください。
 
今、様々な機関が義援金を募集しています。
皆さんの力をどうか貸してください。お願いします。
広島だけでなく、今回被害があった全ての場所の一早い復興を願います。
 
これで以上です。
読んでくださってありがとうございました。
 

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