■記念館来館者も増加、
終戦後、ソ連(当時)によって約60万人が抑留され、約1割が死亡した「シベリア抑留」。抑留者や家族の手紙、絵など570点が6月、ユネスコ世界記憶遺産の国内候補に決まった。登録の可否は来年夏頃決まるが、資料を所蔵する「舞鶴引揚記念館」(京都府舞鶴市)では来館者が早速増加。未曽有の非人道的行為への関心が改めて高まっている。(喜多由浩)
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「幽囚の身こそ悲しき遺言もあらずて異郷に逝(い)く人多し」
氷点下40度、50度にもなる酷寒での重労働、飢餓、病気…。シラカバの皮に空き缶のペンで刻まれた「白樺(しらかば)日誌」には苛酷な環境で辛酸をなめた抑留者による約200の短歌や俳句が残されている。紙や筆記用具もなく、煤(すす)をインク代わりにして、思いの丈を書き残したという。
「岸壁の母」のモデルとされ、舞鶴港で戻らぬ息子を待ち続けた端野(はしの)いせさんの手紙や、抑留者が日本の家族に送った「俘虜(ふりょ)用郵便葉書(はがき)」も対象となった。
自由を奪われ、先が見えない抑留生活。一日も早い家族との再会を願いながら書いた手紙も、「重労働」「飢餓」「寒さ」という“三重苦”に触れると、たちまちソ連側の検閲によって止められたという。