桂宮さまは、青春時代はバンド活動に励むなど“行動派”の一面もあったが、昭和63年には急性硬膜下血腫で倒れられた。しかし、リハビリをへて約3年半後に復帰、車いすで公務に臨まれた。ここ数年は体調を崩して表舞台に出られる機会は多くなかったが、元側近らは「明るくざっくばらんな方」とそのお人柄をしのんだ。
桂宮さまは学習院中・高等科時代にはビートルズに熱中、バンドを結成し、自らリードボーカルを担当されたこともある。オーストラリア留学から帰国した翌年の49年10月から60年5月まで、NHKに嘱託として勤務された。
NHKでは、セレモニーやイベントでの切符もぎり、大道具、小道具の運び役など裏方もご体験。「サラリーマン社会は人間関係も複雑。サラリーマンの苦労もよく分かりました」と、63年1月に三笠宮家から独立して桂宮家を創設した際に振り返られた。
宮家創設から約半年後に倒れたが、リハビリに耐えて車いすで公務にご復帰。皇族が車いすで外出すれば、施設のバリアフリー化などが注目され「ほかの障害者の役に立てる」と周囲に語られた。日本工芸会、日本漆工協会、大日本農会などご自身が総裁を務める団体の行事には、折に触れて出席された。
側近を務めた元職員は「あまりにざっくばらんなので、宮邸で話をしていると敬語を使うのを忘れてしまうこともあった」と語る。別の元側近は「お客さまを迎える際にじゅうたんの掃除がきちんとしていないと『失礼だ』と怒られた。厳しい面もあった」と明かした。