【心をつなごう日本】埼玉・加須 肩寄せ暮らす高齢者 最後の避難所 | 毎日のニュース

毎日のニュース

今日の出来事をニュース配信中!

 東日本大震災の発生から11日で2年5カ月。東京電力福島第1原発事故で自宅を追われた福島県双葉町の105人は、今も埼玉県加須(かぞ)市に唯一残る避難所で共同生活を続けている。夫婦や1人だけの暮らしに不安を抱く高齢者たちだ。

 避難所は旧埼玉県立騎西(きさい)高校校舎。“入居”したのは震災発生から約3週間後の一昨年3月だった。当初は1400人の大所帯で1教室約30人、1人1畳ほどのスペースでプライバシーのない生活を送っていた。

 不自由な暮らしを余儀なくされていた町民は、徐々に仮設住宅や借り上げ住宅などへ転居。しかし、介護を必要とする高齢者らは残った。ここには今年6月まで町役場があったこともあり、比較的福祉の手が届きやすく、同年代の仲間もいるため、便利な面もあったからだ。

 しかし、決して快適ではない。段ボールで仕切った教室に複数の世帯。手洗い場で食材を切り、卓上の電気調理器でみそ汁を温めるなど、簡単な料理しかできない。1日3食1100円で弁当も購入できるが、年金と東電から出る賠償金が頼りの高齢者には負担は小さくない。

 双葉町は役場機能の福島県いわき市への移転を機に避難所閉鎖の意向を示し、いわき市や加須市の借り上げ住宅への移住を促している。町の調査では、避難者の半分以上が加須市でまとまって暮らすことを希望しているという。

 今も残る避難者らの平均年齢は約70歳。伊沢恭子さん(88)は「生きているうちに自宅に帰れないのは明らか。それなら、縁があってお世話になっている加須市で(一緒に避難した)みんなとつかず離れず暮らしたい」と話す。

 今年8月9日現在、双葉町の人口は6492人。全町民が県内外で避難生活を続けている。(早坂洋祐)