「世に見過(みすぎ=生きていくための仕事)ほど悲しき物はなし…」(西鶴『諸艶大鑑』)といいます。
この世は生きていくためにしなきゃいけない仕事ほど悲しくてつらいものはない…。西鶴は、まるで編集局の片すみでシコシコと『虎ソナ』を書いている俺のことを江戸時代から、ちゃんとわかっていたんだなぁ…グスン!
CD(チーフデスク)のビヤ樽三木建次は、試合がはじまると、もう汗だくでモニターテレビの前で伏し拝んで「頼む、打ってくれ…」とブツクサ。
編集総括はジャガイモ局次長伊藤英慈。実は、彼は「広島原爆の日」に生まれました。いえ、原爆投下の当日じゃございません。昭和38年の8月6日です。
でも、子供の頃から誕生日は必ず朝から大人たちが悲しそうな顔をしているので“俺、生まれてこなきゃよかったのか…”と思ったりしたほど。事情がわかってからはそんなにヒガンではいないが「どうしても、いつもハシャグ気分にはなれんのだよ」。今年の場合も午前9時頃に起きると最愛の息子と奥方は、もうどこかにでかけていやしない。それは忘れられてるっというんだぞ。「そうなんだ。俺の誕生日は…」という運命。9日は「長崎原爆の日」で、伊藤は「今日も静かにしてるョ」と総括席でシンミリ。