(弥生神代考3)    宗像三女神の降臨伝承
 ここでも、先ず、記紀・旧事紀の伝える「宗像三女神の降臨伝承」が次の様に微妙に異なっている点に注目しましょう。その後、九州における降臨伝承を探ります。

(1)記紀の伝える宗像三女神の降臨伝承

 「古事記」も「日本書紀本文」も宗像三女神の降臨地を伝えず、「一書第1」が筑紫国、「一書第2」が葦原中国の宇佐嶋と記し、著作年次の最も新しい「先代旧事本紀」(推定805~836年頃)がこの両者の記述を総括しているかのように「葦原中国の筑紫国の宇佐嶋」とします。
 「道主貴」なる表現も記紀本文にはありません。「道主貴」なる表現は「一書第3」と「先代旧事本紀」にのみあるのです。
 宗像女神の斎主についても、記紀は胸肩君・筑紫の胸肩君とほぼ同内容ですが、「一書第3」と「先代旧事本紀」は水沼君・宗像君としています。これも注意すべき点です。

       

(2)九州における宗像三女神の降臨伝承
 記紀が伝える宗像三女神の降臨地は筑紫(北九州)ですので、早速、筑紫(北九州)に目を転じてみましょう。
 その降臨地伝承は、次の三処(宇佐・道中・宗像)の神社に伝わり、周辺に宗像神祭祀社を展開しています。

 

 

次に、これらの精査の要約と結論を述べましょう。