4)大国主命と天火明命との統合系譜における宗像三女神


 大国主命集団、高皇産霊神族、天忍穂耳命集団の相互関係を想定すると、次の様な推移が想定されると思います。
 大国主命集団の九州・筑前での接触相手は、初め、高皇産霊神族であり、大国主命は高皇産霊神の宗像二女神を娶り、関係を深めたと思われます。

 その矢先に、天孫・天忍穂耳命集団の来住があったようです。天忍穂耳命集団は、九州西部から東部へと移動した高皇産霊神族と接触して、天忍穂耳命がその女・栲幡千々姫命を娶り、御子二人(饒速日命・瓊々杵尊)をもうけ、二集団は結束を強めました。
 何らかの理由で、大国主命集団は中国地方へと主勢力を引き上げ、天孫・天忍穂耳命集団、乃至、天孫・天火明命集団が東北九州に根拠地を譲り受けることとなります。これが、後に国譲り神話の元となったものと思われます。
 高皇産霊神族は自らの宗教的権威による統治力の中に天孫・天火明命集団の現世的統治力を受け入れ、天火明命を両集団統合の指導者として認めたものと思われます。
 この統合系譜図は、出雲神族と高皇産霊神族(宗像三女神ほか)・天忍穂耳命集団の三族とは、通婚により相互に結ばれ、その通婚は三族の融和に役立ち、大国主命集団と高皇産霊神・天火明命集団とは必ずしも対立的な関係に終始しなかった可能性を示しています。
 こうして、宗像三女神は、高皇産霊神を父とし、大国主命と天火明命の妃となり、その血統形成に参加し、その後の歴史展開の伏流となって、弥生神話期から古墳時代にかけての多くの史実・伝承とつながっていると思われるのです。

 だが、それは出雲族・天孫族の裔孫の事として語り記され、宗像女神の裔孫の事とは語り伝えられていないだけのことと認めるべきでしょう。

  大国主命、天火明命の后妃および子神の系譜に他情報も加味すると、図表6の統合譜を得ます。これは基本的には図表3と同じですが、それに末裔の動向を追記したものです。
 夙に知られたことですが、大国主命は、通婚により、筑前・宗像から出雲・因幡・但馬・高志に及ぶ地域を治め、出雲族の地盤を拡めました。天火明命の妃は高皇産霊神の女・孫娘を中心に、天熊人命の女・熊若姫命や登美長脛彦の妹・御炊屋姫命を娶り、裔孫集団を形成しました。

 

 

 この統合系譜図は、出雲神族と高皇産霊神族(宗像三女神ほか)・天忍穂耳命集団の3族とは、通婚により相互に結ばれていることを示し、その通婚は融和に役立ち、大国主命集団と高皇産霊神・天火明命集団とは必ずしも対立的な関係に終始しなかった可能性を示しています。先に触れた天火明命集団の丹波降臨に際して、國作大己貴神(大国主命)が天火明命へ「丹波の国作り」を認可した一件にその一例を見出すのです。

 こうして、宗像三女神は、高皇産霊神を父とし、大国主命と天火明命の妃となり、その血統形成に参加し、その後の歴史展開の伏流となって、弥生神話期から古墳時代にかけての多くの史実・伝承とつながっている、と読みます。だが、それは出雲族・天孫族の裔孫の活躍として語り記され、宗像女神の裔孫の活躍とは語り伝えられていないだけのことだ、と私は考えるのです。