疾風

 

私が小学生のころから青年の頃に、直接元兵隊さんから聞いた戦時中の話を掲載します。 よかったらご一読ください。

 

1   元、海軍で口ひげのおじいさんの話。

軍艦から潜水艦に向けて落雷を投下すると、しばらくすると、大量の魚が浮き上がってくる、大量の魚だった。魚に申し訳ないそんな感じだった、と話していた。

 

 

2 元、予科練の元気なおじいさんの話。

その方は予科練修生。軍歌で有名なあの予科練でした。ゼロ戦の二人乗り練習機で訓練を受けていたら、戦争が終わって、特攻に行かずに済んだ、と話していた。

  

3 元、陸軍で私の友達の父親の話。

その方は南方の島の守備隊でした。アメリカの戦闘機が飛んでくると、下からじゃ鉄砲の玉が届かないので、鉄砲をかついで、急いで山登りをするんだ。と話してくれた。また、アメリカと銃撃戦になると、こっちが1発撃ったら、アメリカは100発くらい撃ってきたよ。と話していた。

 

4  元、海軍で、優しそうな感じのおじいさんの話。

その方は軍艦の一番高いとこに登って敵艦までの距離を三角測量していたそうです。私は正確に計算出来るのですか、質問したら、いや~適当だよ。軍艦の一番高い所だから大変揺れるから正確に測れるものじゃないよ。でも測量は二人でやるけど、海戦でドンパチやっていた時に気が付いたら、隣りの人が死んでいた。と話してくれた。

 

5  元、陸軍、漫才師のように明るいおじいさんの話。

その方は、満州でロシア軍に捕まってシベリアに送られた。ところがその人は樺太の出身らしく、ロシア語がある程度話せたので、シベリア抑留中は何となく通訳の役割となった。すると強制労働させられることもなく、待遇がわりと良かった。また欲しいものを頼むと結構融通してくれたよ。と話してくれた。

 

6  元、陸軍、背が低く小太りのおじいさんの話。

その方は、上官によく殴られたそうです。もちろんその人だけが殴られたわけではなく、他の兵隊さんも殴られたそうです。殴られた兵隊はその上官のことが憎くてたまらない。そこでその上官の食事を持って行く時は、兵隊みんなで頭のフケを食事にふりかけて持って行ったそうです。同僚で「僕はやらないよ」と言うやつがいても、それは絶対に許されない。また兵舎では上官が「お前やれ」と余興で、空中自転車、季節外れの蝉、などの軽い、いじめ、もあったそうです。

   

空中自転車は、左右の椅子に両手をついて体と足を浮かせて、足を空中で自転車をこぐように動かす、身体を支えている両腕が疲労してくるけど、上官が「よし」と言うまでやらされる。

 

季節外れの蝉は、柱に登ってしがみつく、そして「季節外れの蝉がなきます」と言って「ミ~ン、ミ~ン」とやる。しがみついている両腕が疲労してくるけど、上官が「よし」と言うまでやらされる。

 

そんな上官に対して、メリカとの銃撃戦の時は、「敵は前だけじゃないぞ」と思っていたそうです。実行したか否かは話してくれませんでした。

 

 

 

7  私の曾祖母(ひいおばあちゃん)の話。

私が育った村には一人の何でも屋のお医者さんが居ました。いよいよ戦局が悪化し最前線では負傷者が増加、医者不足も深刻となり、地域の医者200名が集められた。地元に残るのは2名。あとは戦地に行くことになり、くじ引きによる抽選が行われた。村のお医者さんはその2名の一人になったそうです。

 

8  私の父親の話。終戦の年に私の父は15歳でした。

空襲警報が鳴る中を、中学の生徒達は、リヤカーで学校の備品を運び出していた。そこにアメリカの戦闘機が飛んできて機銃掃射を浴びせてきたそうです。私の父の後ろにいた生徒さんが弾に当たり即死されたそうです。

 

 

 

おしまい

次回からはまたAIやパソコンやスマホの記事に戻ります。