イーロン・マスク ①

 

計り知れない天才イーロンマスク氏、とりあえず、うわべだけ。

1971年南アフリカ共和国生まれの実業家、エンジニア、投資家。2024年の推定総資産は27兆円を超え、世界一の富豪。

10歳でプログラミングを習得し、12歳で自作のゲームソフトを売るほどの天才少年でした。

小学校の頃には学校の図書館の本と百科事典の全て読みつくし、学校にもっと本を買ってくれと直訴したそうです。

 

当時南アフリカは徴兵制度があり、それを嫌って母親の出身国のカナダに渡り、そしてアメリカに行き、ペンシルベニア大学で物理学と経済学を専攻した後、1995年にスタンフォード大学の大学院に進学するも、MicrosoftのWindows95の爆発的な人気と売上に、やはりこれだと確信し、同大学院を2日で退学。1995年にソフトウェア会社「Zip2」を創業し、1999年に米コンパック社に売却。わずか4年で億万長者となる。

 

 

-------------おまけ

歴史上の人物の名前や物事の名称は知っているけど、どんな人物なのか、どんな事だったのか、実はあまり知らない。そこのところを表面だけでも知りたくなり、調べてみようと思いました。せっかくなので、「おまけ」で掲載することにいたしました。

 

      ≪ 徳川家康の三男、徳川秀忠 ≫

 

徳川秀忠は天正7年4月7日(1579年5月2日)、徳川家康の三男として浜松城で生まれた。秀忠は兄の死により、家康の実質的な世継ぎとなる。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、中山道を通り甲信地方の真田氏を平定する別働隊の指揮を命じられたが、真田氏の巧みな戦術の前に苦戦し、関ヶ原の決戦に間に合うことが出来ず、家康に叱責された。

 

慶長8年(1603年)、徳川家康が征夷大将軍に就任。慶長10年(1605年)には秀忠が第2代征夷大将軍となった。秀忠は将軍として軍事力を強化し、江戸の発展と財政の安定を図りました。寛永9年52歳で没。

 

           逸話話として

秀忠は大坂の陣が始まった時に、関ヶ原での遅刻の汚名を挽回しようと、江戸を出発、大急ぎで大阪の家康の陣に到着するが、家康は急がされた兵が疲労困憊している様子を見て、「急いで来ればいいというものではない、兵を見よ、あれでは戦の役には立たぬ」と秀忠を𠮟責した。

 

 

 

 

 

 

 

 

またね