こんなの出るんだねw
意外にそんなに久しぶりでもなかった。

ここ、中1の冬に開設したブログなんですね。
8年が経過してるわけですが、私が今思うことは
8年もアメーバブログというサービスが良くぞ続いてるな、さすがキラキラ企業のサイバーエージェントは違うわー
ってことですね。
大学3年の2月、18卒の就活まで秒読みです。
高校受験にひーひー言って、大学受験にぐちぐち言ってた私は、来月からオンシャにキチョハナカンシャしながら都内を歩くことになります。
学生時代力を入れたことと自己PRの区別がわからないのに、もうエントリーシート公開した企業があって
今更キャリアセンターに行こうとしています。遅いw

高校・大学と推薦で適当に決めて、適当に院進学(心理学専攻です)しないことにして、適当な進路選択を繰り返して生きてきた私が、実は常々思ってきたことがあります。
「普通科高校に行ったから、私は技術者とか音楽家にはならないな」
「文系を選んだから、もう科学者や建築家や栄養士や看護師にはならないんだ」
「心理学に決めたから、会計士とか弁護士にはならないし、多分国際派な仕事もしないんだろうな」
「教職とらなかったから、もう先生にはなれないや」
「院に行かないから、私はもう臨床心理士や心理の専門職にはならないんだ」
まとめると、進路が進むたびに自分の可能性がごっそり減るのを感じてたんですよね。
別に挙げた職業になりたかったわけじゃないです(なりたかったらそういう進路選ぶし)。
でも「なりたくない」と「もうなれない」って結構違うんですよね。
毎回それなりの喪失感を持ちながら進路を選んできた気がします。

でも今回の就活で自分で進路選べるのって最後なんですよね。
大学4年で何か仕事を選んだら、それ以外の将来の選択肢がゼロになる。
実際には転職する人なんてたくさんいるし、就活で人生全部決まったらたまったもんじゃないけど
基本的にはそうじゃないですか、今から転職前提なんて逆にビジョンありありのすごい人だけだと思う。
それに気づくと寒気するんですよね、別に大した夢もないくせに
「なれるものがなくなる」って、可能性を閉ざされた気がして(気がするだけよ、実際は職についてたってやる気次第で何にでもなる人はいる)
将来への危機感とは別の怖さがあります。

就活って100社以上とか受けてほとんどに落とされるらしいですよね。
私は推薦だったからやってないけど、大学受験より的を絞らない感じがする。
だから、どうせたくさん受けるなら、私は今までやりたかったようなことをやってる会社(別に大企業とは限らない)にエントリーして、落とされて納得したいなって今思っています。
未だに学生時代に力を入れたことが書けてないくらいだから努力してないし、学力テストの類もたいして自信ないし
大学も全然いいところじゃないんです。客観的に見て。
でも、子供の頃とかにやりたかったことができるかもしれないラストチャンスですよね。
できるとかやりたいとかより、喪失感なしでサクッと諦めるというか
「やらないうちにできなくなった」を「やったけどできなかった」にするためにそういうところを受けようとしています。
子供の頃から地味に地味に積み重ねてきてしまった、得意かも、できるかも、私って将来こんなことするんじゃないかな…に「無理!」ってハンコ押してもらって精算したいです。
私は昔から「やらなかっただけでやればできた」って言う奴が嫌いなんですが、私自身がそうなりたくないので。

人生で無理なことをやってみようと思ったのは初めてです。
しかも大してアツくもない思いでw
歳をとること、できることが減ることって無性に怖いよね。
お年寄りが富士登山とかするの、意味不明だったけどなんとなく気持ちがわかるようになりました。
私の就活もお年寄りの富士登山です。
富士の麓まではとりあえず行って、富士山で門前払いされて、諦めをつけて
裏山登山に切り替えて行こうと思いますw
裏山も登れるのかわかんないけどw