たまには気分の上下に関係なくブログを書こうと思う
特に何か書きたいわけでもないけども
いや,本当は留学の振り返りを書きたいのもあるけど
まだ後1週間あるから,終わりではないし
こういうイベントの終わりは飛行機の中で書いた方がなんとなくエモい
から我慢しようかと
大学院の続きでも書こうかなと
前回のGPAについて後悔していることをつらつらと書いたけど
調べたら大学によってはGPAだけを採用基準にしないところもあった
例えばフィンランドの大学院はGPAの他に職歴,留学経験,専攻科目との関連度,動機の明瞭さなど様々な項目を点数化して,合否を決定する(多分)
前に書いたデンマークの大学院もGPAより専攻との関連したものを勉強していたかどうかを重要視する(らしい)
探せばGPAが低くても入れそうな大学はありそうなんだけど
なかなか条件に合った大学院が見つからない
大学院に通うということは
同年代が仕事をしてお金を得ているのをよそに
お金を払って勉強するわけだが
修士課程を再入学ともなると
流石に貯金もないし,将来を考えると奨学金はこれ以上借りれない
つまるところ,親に頭を下げるということになる
しかしいい歳した人間が
定年までもう少しである親の脛をかじってまで勉強する必要があるのかと聞かれれば
正直ぐうの音も出ない
そこまで勉強したところでお金持ちになれるわけでもないし
大学院に通っている期間に,社会人が稼いだであろう額の差を考えれば
結局のところ大卒後すぐに就職した方が総合的に上かもしれない
行きたがっている自分が言うのもなんだが
大学院への入学はオススメしない
余程仕事したくない人か変わり者のどちらかだろう
あー・・・もしくは(親が)お金持ちかな
自分は後者だと思う
ある種変態なんだろうな,と
あなたは変わっていると留学前に親から公認もされた
留学してから変わり具合はさらに勢いを増している気がする
というのも,英語もままならないくせにドイツ語にも手を出そうとしているのだ
オーストリアという物価が日本とほぼ変わらず,学費は数万円という破格で提供してくれる国がある
しかし難題は大学で使われる言語が「ドイツ語」であることだ
おそらく一般の方は
ドイツ語を目にした途端そっとブラウザを閉じるだろう
しかし頭がおかしい私の場合
「1年研究しつつドイツ語勉強したら入れるんじゃない?」という発想になる
いつになったら定職に就くんだと
そろそろ怒られるかもしれない
でも私はこう考える
誰にも迷惑かけなければ定職につかず好きなことしてもいいのではないか,と
例えば1年間ドイツ語と研究の勉強で費やしたとする
その間は実家で暮らしながらバイトをしつつ,親に迷惑をかけないよう自分の分の生活費はきちんと払う
父が単身赴任のため一軒家でひとり寂しく暮らしている母を考えれば
私がいることで会話相手ができる
その後のオーストリアの生活では1年間のバイトで貯めたすずめの涙程度の貯金と
現地でのバイトで生活費を賄い
細々してはいるが誰にも迷惑かけずに,邪魔されることなく勉強できる
修士課程を卒業し博士課程に進んだとしても
研究者として扱う大学もあるわけで
研究者というのは立派な職だ
当然給料がもらえる
しかしあくまで学生なので,もらえるのは貯金もできない程度のはした金だろう
それでも生活はできる
ここでも誰にも迷惑をかけず自身の研究に打ち込める可能性は十分にある
冒頭に述べた,親に頭を下げてまで勉強をする
いや,下げなくとも勉強できるのだ
世界は広い,こんなちっぽけな自分をほぼ無償で受け入れてくれる大学はきっとある
では何故将来が心配なのか
問題はおそらく1つ
もし今までの勉強が無駄になったら
ここに尽きる
つまり,今まで何年もかけて研究していたような内容,専攻が活かせる職業に
就くことができなかったとしたら
それこそ親にぶん殴られてもおかしくない
お前は今まで何をやっていたのか,と
自分がなりたい職業は実に狭き門で
実力とともに運も兼ね備えなければ入れない
実力は海外での実績があれば大学生での遅れを十二分に取り戻せる
むしろお釣りが欲しいくらいだ
しかし運となると話は違う
どこからチャンスが転がり込んでくるかわからない
日本での就職なら当然日本に住んでいる方がその機会は訪れやすい
自ら職に就けるかどうかの運を下げている可能性がある
だからと言って日本の大学院に入ったとしても
ライバルとの差は一向に縮まらない
海外実績という手土産を持って帰らねば
この戦いには勝てないんだ
これは賭け
人生はギャンブルとはよく言ったものだなと
大学院に入学した時点で
すでに自分はルーレットの中にいるようなもの
大当たりを引かなければ勝ちはない
しかしギャンブル同様
人生にもいろんな賭け方がある
あらゆるところに線を張っておき
どこか引っかかれば勝ちなんだ
私がこのギャンブルに支払ったのは金ではなく
時間と経験
その対価は職業
望むのは以前からずっと希望している職業だが
1つに的を絞っては当たらないだろう
的を増やせば確率は高まる
人生の道を1つに限定すべきではないというのはこういうことだ
道は無限にあるんだ
そう考えると不安もきっとなくなる
悔いの残らない人生になるよう
必死にもがいて生きていこうな