「猿」という名前の伝説の役者がいた。
彼は主演、監督、脚本、裏方の仕事まですべて一人でこなし、週に1日だけ西東京のある町の劇場で公演を行っていた。
一人芝居ではなく、猿は知り合いの劇団から何人か役者を借りて、彼自身が演技指導を行い、劇を成立させていったが、猿の指導を受けた役者たちは、猿の劇では輝くが、他の劇ではぱっとしない、猿はそういうあまり役者向きではない素人に近い役者を使うことを好んだ。
猿の劇は、喜劇であり、悲劇であり、史劇であり、歌劇であった。独特でどのジャンルに当てはまるか、猿の劇の観客は答えることができない。しかし観客は毎回感動と幸福感を猿の劇で得ていた。
猿の劇の観客は、ほとんど固定の観客で、猿が講演を行っていた20年近く、ほとんど同じ顔ぶれだった。彼らの中で観劇の時間は至福の時間で、人生の意義ですらあった。
この素晴らしいエンターテイメントが、西東京のこの町から外に広まることはなく、固定の観客以外、猿という役者については演劇界で知られることもなかった。猿の劇に係った役者も大成することはなく、まだ猿自身も有名になりたい、テレビや映画で活躍したいという望みを持っていなかったので、ある日猿が突然公演をやめてからは、あっという間に世間から消えてしまった。
地球から7万光年ほど離れたビビイック星系のインテンソーガモルンモルン星にも「猿」という名前の伝説の役者がいた。
彼は17歳でモデルとしてスカウトされ、アイドルとして芸能界でのスタートを切ってから、トレンディドラマ、コメディ、刑事ドラマ、社会派ドラマ、大河ドラマ、ありとあらゆるドラマ、そして彼自身が主宰を務める劇団「餅つき嘘つき狐憑き」のワ―ガリアンドーム公演(200万人収容)の成功と彼の345年間の役者人生を通じて、インテンソーガモルンモルン星の人々に感動を与え続けてきた。
インテンソーガモルンモルン星では、「猿」と言えば彼のことであり、あらゆる役者の頂点に立つ存在であり、英雄ですらあった。
しかし西東京のあの町では役者「猿」といえば、あの「猿」のことであり、インテンソーガモルンモルン星のことなど存在すらも知らない。
ここで僕は考える。間違えて、甘くしてしまった大盛アイスコーヒーを飲みながら、考える。
比べてみればどちらの猿も、観客に与えた感動は同じくらいなのかもしれない。
確かにインテンソーガモルンモルン星の猿はすごいが、この広い宇宙には、もっとすごい役者はいるだろう。
そして、役者にこだわらなくても、この広い宇宙には、もっとすごい、人に感動を与えた存在はいるだろう。
あとは、感動なのか、恐怖なのか、喚起なのか、無の無限のエネルギーなのか、救済なのか、自己満足なのか、いろいろなジャンルを入れてしまえば、何がすごくて、何が大したことないか、価値を比べることは大小ではなく、結局はその場、その場の状況によるのだということがわかる。
僕も今は少し鬱気味で、これから先、人生にはたいしていいこともないし、苦しいことや悲しいことばかりだという状況ではあるけれども、これまで参加した飲み会の多数で、皆と楽しく飲んだし、これからもその楽しく飲んだ思い出を語りながら、楽しく飲めるだろうと思う。この楽しさは、「猿」の観劇客の感動とも近いものがあり、僕と猿の間には大小の差別はあったとしても、本質的なところで同じなのではないかと思う。
これからの多様化、個人化の時代の中で、逆に情報化により個性が失われていくような流れではあるけれども、個性という一種の嘘を大事に守りながら、僕は僕で猿のように小さな感動を求めて生きていこうと思った。
そう思うと鬱も少し晴れるし、もてあましたビッグサイズの甘いアイスコーヒーも許せる気がする。
ちなみに、僕にとって、「猿」と言えば、プロゴルファーです。