BP3度目から1年 | 脳脊髄液減少症の大学生のブログ

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脳脊髄液減少症の方・関係者とともに
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著者は2015/06/01に脳脊髄液減少症を診断される

(自分の対処法を書いてありますが、このブログ
による、いかなる損失・損害は責任を負いかねます。)

 
みなさんこんにちは ちゃdです。
いつも通り、体調のつらい方は
青文字のみに目を通していただけると幸いです。
 
 
最後の(3度目の)BPの2016/10/5から1年が経ちました
 
簡単に流れを紹介しますと
 
2013冬頃から体調がおかしくなる
2015/4 急激に悪化(寝るのもしんどい。救急車を呼びたい毎日)
2015/6 脳脊髄液減少症と診断
2015/7/2 1度目のBP
2015/10/7 2度目のBP
2016/10/5 3度目のBP
 
3度目のBPをして少々経っても
外に出て歩くのもつらい。
とても日常生活を一人では送れない状態が続きました。
 
 
でも1度目のBPの前は、5分も座れない。
寝ていても、常に死と隣り合わせのような苦しさ。
まぶしさでカーテンも開けられず、何も食べられない日々。
 
1度目のBPは自分に「死からの解放」をもたらしました
 
それでもやはり家の中にいることしかできず、
どうにか楽になる方法はないかと模索し、
家でスマホでブログを書くのが精一杯でした。
 
2度目のBPは自分に「家の中での生活」を可能にさせました
 
このまま良い方に向かうかと思いきや、
冬から春にかけて大悪化。
おそらく、毎日飴をなめていて(舐めないと苦しい)、
食べすぎが原因だったと思います。
歩けない、外も出れない。
 
これに関しては、2016/4~9にかけて
針治療をすることで改善していきました。
体は糖でブヨブヨと針師に言われたのが何よりの証拠です。
 
ホントに少しずつ改善していき、
何もできなかったところから、
短時間の車の運転ができるまでになりました。
 
3度目のBPは自分に「外への第一歩」と、一つの扉を開きました
 
でも、2016冬の篠永医師の来札による講義は30分もたず
家に帰ったのを記憶しております。
 
1年前の自分は
「1時間机に座るのもつらい」
「外にでるのもつらく、100m歩けるだけで喜んだ」状態
であったのは違いありません。
 
そこから少しずつ良くなって、
半年前は家で友達と6時間麻雀をしていたこともありました笑。
 
また悪化と改善を繰り返し、札幌→実家静岡に移り
クロスバイク(自転車)での近距離の外出が増えました
 
こうして書くと、
毎日の差は微々たるもの、むしろ悪化する日もあるのですが、
確実にできることは増えていると感じています
 
その証拠となったのは8月に受けた予報士試験です。
①一般知識
②専門知識
(2つ合格した人のみ採点される)
③実技試験
から構成され、
①②は合格すると、それぞれ以後2回(くらい?)試験免除になります。
 
つまり、半合格、半々合格があるようなもので
1つでも合格していると価値があると思うのです。
 
結果としては
 

 
半々合格でした笑。
正直①②は両方合格できたと思ってましたので残念です。
どうしても法律とかの覚える系がダメですね・・・
 
とそれは置いといて、
1年前は30分も席に座れなかった人間が
こうして、予報士試験で半々合格できているという事実
これがとっても大事なことです。
 
 
今月は地元の大学に、知り合いの教授に会うこともしてきました。
母校ではないんですけどね笑。
 
 
そして、先週は超大型で非常に強い台風が、接近・上陸
 
 
恐らく10年に1度くらいの960hPaくらいまで下がりました。
が、大きな苦しみはありませんでした。
 
次の週も台風が接近しましたが、
子供の頃のように、大雨を楽しむことができました。
(もちろん災害は起こってほしくないのですが・・・)
 
結論として、
今の状態は、「徐々に普通の生活を取り戻してきている」
と言えます。
 
もちろん全然ダメな日、苦しくてどうにもならない時間というのは
まだまだあります。
 
でも、少しずつ進歩できているのが実感できる今日に
未来への希望を膨らませ、いつか完治報告ができるように。
これからも書き続けたいと思います
 
 
最後に、横浜・日本シリーズおめでとう!
(でもSBにボコられるなよ!(//∇//))
それでは。