愛は静けさの中に(1986)
マーリン・マトリンが、デビュー作にしていきなりアカデミー賞を受賞。
マーリン・マトリンが、デビュー作にしていきなりアカデミー賞を受賞。
「蜘蛛女のキス」でやはりオスカーに輝く実力派男優W・ハートを相手役に、
言葉の壁を越えようとするヒロインを熱演した充実編。
言葉は使わずとも豊かな表現力でハンデを乗り越えようとするヒロイン像は、
マトリンにとってまさに一世一代の当たり役となり、
本物の感動で当時の観客を圧倒した。
原作はトニー賞に輝く戯曲。
監督は女性監督のR・ヘインズ。
メイン州の地方にあるろうあ学校へ赴任した男性教師ジェームズは、
そこで清掃の仕事をしている若い女性サラに関心を抱く。
彼が周囲に尋ねてみると、サラは本来は知的な優等生だったが、
少女時代のあるゆがんだ性体験のせいで、
その時から心を閉ざしてしまったという。
ジェームズは彼女に自分の愛を告白し、
サラもまた彼の愛情に応えたいと願うように。
しかしそんなサラの愛情は、時にジェームズにとっては強すぎることがあり……。<wowow作品解説より>
恋愛映画において
これほど言葉を交わす
激しくも静かな作品が
あったかなぁーと感心(u_u)
ウィリアム・ハートが相手の言葉を
声で反芻しながら、
手話でずっと会話を続けるんですよ。
単純に凄いエネルギー量が
必要な恋愛だなぁと
更に感心(u_u)
手話には「パーソナルな対象に小声で内緒」ということが表現できない分
その激しくたるもの
ちょっと驚いた。
主人公サラは自分が聾唖であることで
傷つかないよう「怒り」で
自分の心をコーティングして生きてきた。
ジェームズに会うまでずっと。
その「怒り」も彼女の
謎と強さと賢さとしてジェームズを魅了するのだけれども。
彼女の「怒り」の正体の謎解きに深入りしすぎて、
ジェームズはジェームズの中にあった
「良かれ」というお節介と戦うハメになる。
ここも深い。
聾唖の学者のパーティに二人で招かれたとき、
そこでの第一言語が手話で、めちゃ盛り上がってるところ、
ウィリアム・ハートだけがぽつん。
この場面も感覚の違いを強調し、
二人の確執が現れる導入として印象に残る。
プールという水の中、無音というか
圧迫というか、閉塞というか
そんな世界にもしかしたら
彼女がいるのかも。
彼女の生きる「音のない世界」に
踏み込むということは想像をはるかに超えて共感しにくい世界かもしれない。
私はそんな感覚を
全然理解していなかったなぁと
頭ブン殴られる驚きがあった。
音声で伝える・伝わるって
何だろう?
言葉=音声ではなく
言葉とは
曖昧で誤解も生むし不確かなものだと
余計に自覚する。
それでもなお、
言葉を使い気持ちを交わさなければ
伝わらないものだらけ。
無音の世界に生きる人に
言葉の重要性を意識させられた1本。
★★★★★満点!