皆さま、おばんです!
今晩は6年前に訪れた奥羽本線から
十文字(じゅうもんじ)駅の訪問記です。
この日の駅訪問の最大の目的は
駅舎の建て替えが終わったばかりの
奥羽本線・湯沢駅に立ち寄ることだった自分。
十文字駅はついでに寄りましたが(地元の皆さまごめんなさい)
その後に大きな変化があったようです。
その変化は後ほど触れることにしまして…
十文字駅は明治38年に開業しました。
今ある駅舎は造り的に
昭和40年代半ばに建て替えられたモノか。
十文字駅では構内に貨物の小ヤードがあったために
職員詰所を備えた大きな駅舎が特徴です。
駅前に「猩々の碑」が見えますけど
ここは羽州街道と増田街道が交差している地域で、
像はその目印に立っていた「道しるべ」的なモノのレプリカだとか。
駅名や地域名にもなってる「十文字」は
このことが由来しているそうですよ。
駅舎の正面に見える「内蔵風」の装いは
平成25年に催されたディスティネーションキャンペーンに合わせて
施されたモノだそうです。
十文字は「ラーメンとさくらんぼの里」と…
よく覚えておきますね。
十文字地区はあっさり味のご当地ラーメン
「十文字中華そば」が有名なんですって。
駅舎内もリニューアルされてました。
こんな立派な待合室を持つ十文字駅ですが、
新幹線が運行されていない新庄駅~大曲駅間にあるので
現在は普通列車しか停車しません。
昔はブルトレも停まっていた駅だっていうのにね。
なお、一昨年の秋に鬼籍入りされた矢口高雄先生の
看板がありますが、
先生は横手市(旧・西成瀬村)のご出身だそうです。
あまりにも有名すぎる「釣りキチ三平」は
先生の幼少時代、西成瀬村で過ごされた体験を
描かれたモノであること、ご存知でした?
自分も東北民なのに最近になって知りましたよ。
改札口を通り、長い雪除室を抜けてホームに入ります。
十文字は「さくらんぼと白鳥が来る町」と…
あれあれ?ラーメンはどこに行っちゃったの?
十文字駅は相対式&島式ホームによる複合2面3線構造。
駅舎と2本のホームは跨線橋で結ばれてます。
長いホームは国鉄時代に運行されてた優等列車の名残りです。
当時はすべての急行列車の他、
特急列車も寝台特急「あけぼの」1往復が停車していた模様。
当時の「あけぼの」は20系客車で12両編成(カニ含む)でした。
今の電車は最大5両でしたっけ?
このホームの先端に立てなくなる日が
来るかもしれませんね。
さてさて、先述した「十文字駅に起きた大きな変化」ですが、
自分の訪問時でも既に使用の形跡がなかった3番線ホームが
現在は封鎖されて進入出来なくなったそうです。
十文字駅で折り返す列車はありませんから
3番線ホームの使用中止は致し方がないとしても、
まさか出入りが出来なくなるとは…
この景色も見納めです。
駅裏にあった小ヤードの跡地を含め、
3番線ホームが撤去される日が来るのかもしれません。
JR東日本秋田支社は仕事が早いですから。
それともうひとつ、
島式ホームから駅舎方向を見ると
跨線橋の真下にもホームがあるのに気づきます。
おそらくは開業~駅舎改築まで存在していたと思われる
旧1番線ではないでしょうか?
このホーム跡の上をよく見ると、
コンクリート基礎らしき怪しげな構造物がありまして…
Wikipediaによると昭和19年、
金属類回収令により初代跨線橋が撤去されたそうです。
構造物は初代跨線橋が撤去された跡ではないかと。
十文字駅クラスの駅に
戦前が跨線橋があったことにも驚きましたが、
旧1番線と現在の島式ホームの間には
島式ホームの線路を含め合わせて3本の線路が敷かれてました。
奥羽本線は戦時中、
物資を輸送する貨物列車が多く運行されてましたので、
それを避けるために跨線橋が設けられてたのでしょう。
構内の変化についていろいろと書きましたが、
他にも駅前にあった戦前からある倉庫群が
最近になって一部が撤去されたみたいで…
十文字駅と駅周辺がここ数年の間に変化しすぎて、
気持ちが全然追いつきません。
今すぐ飛んでいきたい気持ちなのですけど
困りましたねぇ。
羽前豊里駅
院内駅
湯沢駅(平成26年8月25日) ・新駅舎(平成28年5月7日)
十文字駅(平成28年5月7日)
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