明石昌夫さん逝去に寄せて | tak METAL ON METAL

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メタル中心にてろてろ書いてます

残念です


































B'Zのベーシストとして、また多くのBeing/V系アーティストのアレンジャーとしても知られる明石昌夫さんが亡くなりました。68歳でした





ほんの1ヶ月前は普通に冗談言えるくらいお元気でしたので本当に突然に感じました





































音楽仕事としては、なにはさておき初期B'Zへのアレンジ貢献は凄まじくて、「3人目のB'Z」と言われたほど

実際明石さん無しでは考えられない程、彼の色が出てます















即ち

①多用されるシンセサウンド/オーケストラヒット
②ディストーション炸裂バカでかい音のギター






「BLOWIN'」「ZERO」といった彼らのポジションを確固たるものとした初期代表曲はまさにコレ















例えばZARDであったりKIX-SであったりMANISHであったり田中美奈子でさえも






イントロのガンズ感半端ない






多少のバランスの差はあれど、基本的には上記の明石黄金律を手を変え品を変え楽曲に当てはめる手法

ある種小室サウンドに近しいレベルの紋切り型サウンドを生み出したオリジンであり、明石さんにアレンジを依頼するって事は「このサウンドを作る」事と同義でした

















一方で、シャムシェイド/ジャンヌダルクといったテクニカルV系バンドのアレンジにも携わってます







こちらは飽くまでバンドサウンド重視のアレンジではありますが、随所に現れるシンセとオーケストラヒットはめちゃめちゃ明石さんです
















面白いのはSIAM SHADEは明石さんが関わりだしてから爆発的に売れはじめました(故にシャムは雑誌でそれまでの体制の恨み言を述べてました)が、Janne Da Arcはこの時点ではさざ波レベルの盛り上がりに留まったこと

1/3リリースが1997年
レッドゾーン1999年

どうもこのあたりで所謂明石昌夫サウンド」大ブームは一度終わりを告げたのかもしれません























ちなみにB'Zとの蜜月はシングル「MOTEL」で終わり
明石さん本人はクビにされたと断言しておりました





理由は

「アスペでコミュニケーション取れなかった」
「ネタ切れでアレンジが進まなかった」

とご本人がYouTubeで語られてましたが



たしかにこの3連ロッカバラードからは明石さんである必然性を感じません。本当に転換期だったのでしょう

















あの時代の音の発明家と呼べる明石さん

ある種の天才だったと思いますし、それ故にどこか危うさも併せ持つような印象のある方でした(YouTubeの配信などからそう思う方は多いでしょう)

即ち昔気質のミュージシャンタイプで、最終的なジャッジは理ではないところに委ねてる感覚も含め「音楽に選ばれてる人」だと思います

彼がいなければB'Z/ZARDを始めとした著名ミュージシャン達は今の地位を築けなかった可能性もあり、その意味でも日本の音楽シーンを築いた偉大な方でした








































良い音楽を本当にありがとうございました
ご冥福をお祈り致します












































どうか安らかに






















tak